2023.12.06
12月
民俗行事・国民儀礼

令和5年(2023)12月9日「皇后誕生日」「旧地久節(きゅう ちきゅうせつ)」です。

■12月9日「皇后誕生日」「旧地久節(きゅう ちきゅうせつ)」です。■

日本国の今上天皇の皇后雅子様(昭和38年(1963)12月9日生)。日本国の第126代天皇・徳仁陛下の皇后(在位:令和元年(2019)5月1日~)です。皇族。お印はハマナス。敬称は陛下。勲等は勲一等宝冠章。旧名は小和田雅子(おわだまさこ)で、小和田恆・小和田優美子の第1女子。皇女子に敬宮・愛子内親王がいます。元外交官。東京都千代田区の皇居御所。

◇皇太子徳仁親王との婚約
昭和61年(1986)10月、来日したスペイン国王カルロス1世の長女、エレナ王女の歓迎レセプションが、徳仁親王(今上天皇陛下)と雅子様の出会いでした。11月、寛仁親王が名誉総裁を務めていた日英協会主催のパーティーで再び顔を合わせました。12月には、東宮御所で催された内輪の茶会(年越し会)に一家で招かれました。出席者は外務省関係者やハーバード大学教授・広中平祐同夫人など学者家族と、皇太子明仁親王と同妃美智子、皇孫徳仁親王(いずれも当時)を囲み約2時間歓談しました。

昭和62年(1987)4月上旬、日英協会のパーティーで徳仁親王と再会。4月下旬、高円宮家の宮務官から電話で茶会に招待されました。赤坂御用地高円宮邸で開かれた茶会には雅子様ほか数名のお妃候補が招かれていたそうです。
10月24日、東宮御所で夜の茶会が催され、徳仁親王、徳仁親王の学友で旧皇族・賀陽宮家の賀陽正憲(かやまさのり)氏と歓談。12月9日の24歳の誕生日には皇太子からの花束が小和田邸に届けられました。

平成4年(1992)8月16日、すでに皇太子になっていた徳仁親王と外務官僚の柳谷謙介氏の自宅にて5年ぶりに再会しました。この時のことを、翌平成5年の誕生日記者会見で、「警備なしという極めて無防備な状態ではあったわけですけれども、それをする価値は十分にあったという、このことに関してはそういうふうに思っています」と述べられています。

平成4年(1992)10月、徳仁親王より「宮内庁の鴨場(かもば)でのプロポーズ」。10月20日に「(雅子の)気持ちが決まらない」と小和田家から断りの返事がなされましたが、12月に求婚を受諾しました。この間、徳仁親王からの電話や柳谷氏による説得などがあり、雅子様ご本人も悩みにより体調を崩して外務省を休んだりしたとのこと。

◇結婚の儀
平成5年(1993)6月9日、皇居で「結婚の儀」が行われ、ご夫妻は皇居から東宮仮御所までをオープンカーでパレード。沿道には市民約19万人が詰めかけ、結婚の儀のNHK中継の視聴率は30%を超えました。

 

◇地久節
戦前は皇后誕生日を「地久節(ちきゅうせつ)」と呼んで祝いました。中国の春秋戦国時代の思想家・老子の言葉「天長地久(てんちょうちきゅう)」から取られたもので、「天地が悠久であるように、帝の御代が永遠に続くように」という願いが込められています。昭和23年(1948)に、地久節は皇后誕生日に改称されました。

祝日や記念日の呼び方ひとつにも、歴史や社会背景を深く感じます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

平成天皇の退位によって、平成皇后陛下は上皇后陛下になりました。
令和の時代になって今上天皇の愛子内親王が、令和3年(2021)12月の誕生日で20歳になりました。時の流れは速いものです。

そろそろ年末や歳末と言っていい季節になりました。体調管理の難しい時期です。木枯らしが吹くなか、お風邪などお召しにならないよう
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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