2026.05.12
5月

令和8年(2026)5月19日 奈良、唐招提寺(とうしょうだいじ)「うちわまき」です。

■5月19日 奈良、唐招提寺「うちわまき」です。■

奈良市五条町の「唐招提寺(とうしょうだいじ)」「律宗(りっしゅう)」の総本山です。「律宗」「南都六宗(なんとろくしゅう)」〔※〕のひとつで、戒律の研究と実践を行なう仏教の一宗派です。

中国では、正式な僧となるためには「戒律」を修めなければなりません。そのため、古くから研究がなされ、唐代には「南山律宗」を開いた「道宣(どうせん、596~667)」「戒律(かいりつ)学」を大成し、その孫弟子である「鑑真(がんじん、688~763)」が日本に律宗を伝えたとされています。

「鑑真(がんじん)」は、唐の揚州江陽県に生まれ、14歳で出家し、律宗、天台宗を学びます。「四分律(しぶんりつ)」(部派仏教の一派の法蔵部で用いられた律典)に基づく南山律宗の継承者で、4万人以上の人びとに授戒(じゅかい:仏門に入る者に戒律を授けること)を行なったとされています。

天宝元年(742)、第9次「遣唐使」船で唐を訪れていた留学僧から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にしてようやく来日を果たしました。

「東大寺(とうだいじ)」に「戒壇(かいだん)」(授戒のための場所)を開き、5年を過ごしたのち、新田部親王(にいたべしんのう)の旧宅地を下賜され寺としました。鑑真は私寺として、そこに天平宝字3年(759)戒律を学ぶための修行道場を開き、「唐律招提(唐の律を学ぶ道場)」と名付けました。唐では官寺でない寺を「招提」と呼んでいました。のちに官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになりました。

※南都六宗(なんとりくしゅう、なんとろくしゅう):奈良時代の代表的な6つの学派仏教。三論宗(さんろんしゅう)、成実宗(じょうじつしゅう)、法相宗(ほっそうしゅう)、倶舎宗(くしゃしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)を指す。後世の宗派と異なり、経論の研究学派としての性格をもつ。「南都」とは奈良のこと。「平安二宗(へいあんにしゅう:天台宗と真言宗)」に対する呼び名。

◆うちわまき

ある暑い夏の日のこと、鎌倉時代の唐招提寺中興の祖「覚盛(かくじょう)」が大勢の弟子を前に講義をしていると、蚊が飛んできて覚盛の頬を刺そうとしました。弟子のひとりが蚊を追い払おうとしたところ、覚盛はそれを制し「蚊に血を与えるのも菩薩行である」といって戒めました。

覚盛の死後、戒行清廉なるその徳をたたえ「せめて団扇(うちわ)で蚊を払って差し上げよう」と、「法華(ほっけじ)」の尼僧たちが、ハート型の「うちわ」を作り、霊前に供えるようになりました。このうちわを上人ゆかりの人びとに授けたのが「うちわまき」の始まりとされています。

「うちわまき」は、覚盛上人の命日5月19日に行なわれます。「中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)」の法要のあと、境内の舎利殿(鼓楼)から数百本のうちわがまかれます。参詣人は競ってこれを拾い、厄除けのお守りにします。

うちわは「宝扇(ほうせん)」と呼ばれ、「雷難、火難、豊作、病気、安産、産児の健康等、諸願意の如くならずということなし」と伝わります。

唐招提寺
◇奈良県奈良市五条町13-46
◇近鉄「西ノ京駅」・JR「奈良駅」よりバス
◇公式サイト:https://www.toshodaiji.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

蚊に血を与えるのも菩薩行……私たち凡人にはそこまでの達観に至るのは無理かもしれません。とはいえ、殺生を正当化しては世の中、殺伐としてしまいます。令和になっても、あるいは、令和の今だからこそ、覚盛上人のような精神が求められているといえるでしょう。日本にはこの精神があったから、世界に認められたのです。残念なことに、いつのまにか隣人他人を構わない社会になってしまいました。上人が生きていたらさぞかし嘆くことでしょう。自分の周辺だけでも菩薩行を実践しましょう。
唐招提寺の「宝扇」で煽いだら目が見えるようになった、病状が軽くなったといった逸話もあるそうです。迷信と決めつけずお出かけになってみてはいかがでしょうか。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

この記事をシェアする
   

関連記事

人気のタグ

  • その他人気タグ: