2025.07.14
7月

令和7年(2025)7月21日 日本三大船祭り、仙台「塩竈みなと祭」です。

■7月21日 日本三大船祭り、仙台「塩竈みなと祭」です。■

「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷をはじめ人びとの崇敬を集めて今日に至ります。創建は定かではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇(さがてんのう)の御代に編纂された「弘仁式(こうにんしき)」〔※〕に「鹽竈神を祭る料壱万束」とあり、当時すでに厚い祭祀料を授かっていたことが記されています。

奈良時代、神社の西南5km余の小高い丘(現・宮城県多賀城市)に、東北地方の政治・軍事・文化の中心をなした「多賀城(たがじょう)」〔※〕が築かれました。その東北方向、つまり「鬼門」に位置し、蝦夷(えぞ)の地に接していた鹽竈神社は、国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして律令政府より派遣されてきた人びとにも篤く信仰されたと考えられています。

陸奥はいづくはあれど塩竈の浦こぐ舟の綱手(つなで)かなしも(陸奥(みちのく)は、ほかにもよい場所はあるけれど、塩竈の浦を漕ぐ舟の引かれていく様子はしみじみと心にしみることだ)…『古今和歌集』

武家社会となってからは、平泉の藤原氏伊達藩の崇敬厚く、歴代藩主は大神主として務めました。

境内に生育する重要な八重桜の品種「シオガマザクラ」は広く名を知られ、毎年メディアに取り上げられます。現在の社殿は、元禄8年(1695)、仙台藩第4代藩主「伊達綱村(だてつなむら)公」〔※〕が命じた大改築により9年の歳月をかけて宝永元年(1704)に竣功したものが中心で、境内には別宮・左宮・右宮の3つの社殿が整然と配置されています。別宮には主祭神「鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)」、左宮に「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」、右宮に「経津主神(ふつぬしのかみ)」を祀ります。

「塩土老翁神」は、海や塩の神「塩竈明神(しおがまみょうじん)」とも。釣り針を失くして悲嘆に暮れる山幸彦(やまさちひこ)を導いたり、神武東征の折りには「東に良い土地がある」と言ったことから、神武天皇が東征を決意したなどと伝わります。人の生死は「潮の満ち引き」に深い関係があり、また、「海(ウミ)」が「産み(ウミ)」に通じるところから、安産守護・延命長寿にも御神徳があるとされます。海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神として人びとに信仰を集めています。

※弘仁式(こうにんしき):律令法の施行細則を集成した法典で、「三代格式(さんだいきゃくしき)」のひとつ。「三代格式」=平安前期に編纂・施行された3つの格式(弘仁・貞観・延喜)の総称。「格式(きゃくしき)」は律令の補助法令、いわゆる取扱説明書のことで、「弘仁格式(弘仁格と弘仁式)」は、嵯峨天皇が大宝元年(701)から弘仁10年(819)までの格を藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)に編纂させたもの。一部現存。

※多賀城(たがじょう):「たがのき」とも読む。国の特別史跡。現在の宮城県多賀城市にあった古代の「城柵(じょうさく)」。「城柵」とは、古代日本において大和朝廷が本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設。多賀城には「国府(行政)」と「鎮守府(軍事)」が置かれた。

※伊達綱村(だてつなむら):万治2~享保4年(1659~1719)。江戸中期の陸奥国仙台藩主。幼名亀千代丸。父・綱宗が不行跡のかどで幕府から逼塞(ひっそく)を命ぜられたため、2歳で襲封。仙台藩のお家騒動、いわゆる「伊達騒動」後の藩政の立て直しに努め、特に産業の振興をはかり「仙台平(せんだいひら:宮城県仙台地方で産する精巧な絹の袴地)」の産出をするなど英主の誉れが高かった。

◆塩竈みなと祭

「塩竈みなと祭(しおがまみなとまつり)」は、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の「管絃祭(かんげんさい)」、貴船神社(きぶねじんじゃ、神奈川県真鶴町)の「貴船まつり(きぶねまつり)」とあわせて「日本三大船祭り」とされています。毎年7月第3月曜日(海の日)に行なわれている祭りは、港町として栄える「塩竈」の経済発展と、戦後の疲弊した市民の元気回復を祈願して昭和23年(1948)から始まりました。

「塩竈みなと祭」のメインイベント「神輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ)」は、古来、海からの道案内の役割を果たし、この地に残った御祭神「鹽土老翁神」を年にいちど海へお連れするという氏子たちの感謝祭といえるお祭りです。

鹽竈神社と志波彦神社(しわひこじんじゃ)より神輿を繰り出し、市内を練り歩いたあとに、「塩釜港(しおがまこう)」に待つ「龍鳳丸(りゅうほうまる)」「鳳凰丸(ほうおうまる)」の2隻の「御座船(ござぶね)」に乗り入れて海上を巡幸します。

海上では100隻を超える漁船「大漁旗」を掲げて御座船に追随。太鼓や笛などを鳴らしながら囃します。市内では「よしこの鹽竈」「塩竈甚句」などのパレードや、花火大会も行なわれます。

 

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)
◇宮城県塩竈市一森山1-1
◇JR仙石線「本塩釜駅」より
・表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分
・東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分
・社務所前まで徒歩約15分、タクシーで5分
◇三陸自動車道「利府中IC」より約10分、「仙台港北IC」より約15分
◇公式サイト:http://www.shiogamajinja.jp

◆塩竈みなと祭(塩竈市):https://www.city.shiogama.miyagi.jp/soshiki/17/50654.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

令和になってから、線状降水帯の影響で土砂災害に冠水被害です。思い起こすと塩竈市は東日本大震災のひどい被災地です。東日本大震災が発生した平成23年も小規模ながら「みなと祭り」を開催し、人々の復興への思いを鼓舞しました。被災した塩釜港は既に復旧していて、今年は沢山の僚船が海上をパレードする壮観な「みなと祭」を見られるまでに復興しました。
お出かけの際には、熱中症対策に帽子と水分を忘れずにお持ちください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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