2024.11.01
11月
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令和6年(2024)11月8日「世界都市計画の日」です。

■11月8日「世界都市計画の日」です。■

「世界都市計画の日」は、アルゼンチンの都市計画家・都市計画学者カルロス・パオレーラが、世界都市計画機構設立の理想を掲げて昭和24年(1949)に提唱しました。日本では、「都市計画協会」〔※〕が昭和40年(1965)から11月8日に講演会や集会を開いています。

「都市計画(としけいかく:urban planning, city planning)」とは、
・都市の健全な発展と秩序ある整備を図る
・劣悪な居住環境からくる国民の健康問題を守る
・都市景観を良くし、守る

などの必要から、土地利用のあり方、都市施設(道路・公園等)の整備、市街地開発について計画を策定し、その実現を図ることです。

◆ルネサンスの理想都市

オスマンによって計画されたパリのシャンゼリゼ通りに代表されるように、前近代におけるヨーロッパの都市は城壁都市でした。ルネサンス期のイタリアでは、城壁を円形・正方形・星形など明快な幾何学的形態とし、放射状あるいはグリッド状に街路を築き、広場や記念的な建造物を配する都市が理想と考えられるようになりました。
これにはウィトルウィウス(共和政ローマ末期・帝政ローマ初期に活動した建築家・建築理論家)の建築理論書『建築について(建築十書)』に見られる正八角形の都市案が影響を与えています。軍事上の機能とともに幾何学的な美しさを目指して実際に建設された例です。
また、古代ローマの広場(フォルム)に倣い、広場を回廊で囲む手法がしばしば用いられ、ヴェネツィアのサンマルコ広場などが代表例です。

ヨーロッパのように守るために「城壁」を築くという考え方とは対照的に、日本では水路を掘って「掘」を重ねて囲んで守るという方向に発展しました。

◆平城京の都市計画

日本では、古来から条坊制(じょうぼうせい)や都城制(とじょうせい)を基本とした都市計画の歴史があり、行政計画都市「国府」を始め、平城京、平安京、長岡京、藤原京、恭仁京(くにきょう)などの計画都市が古くから存在しました。

平城京は南北に長い長方形で、中央の朱雀大路を軸として右京と左京に分かれ、更に左京の傾斜地に外京(げきょう)が設けられています。東西軸には一条から九条大路、南北軸には朱雀大路と左京一坊から四坊、右京一坊から四坊の大通りが設置された条坊制の都市計画です。

各大通りの間隔は約532m、大通りで囲まれた部分(坊)は、堀と築地(ついじ)によって区画され、更にその中を、東西・南北に3つの道で区切って町としました。都全体は東西約4.3km(外京を含めて6.3km)、南北約4.7kmに及ぶ大きさを誇ります。

※都市計画協会:公益社団法人。都市計画の制度・事業の分野での調査研究、出版、講習会の開催、情報提供などを行ない、その活動を通じて都市行政やまちづくりの発展に寄与する目的で運営されている協会組織です。

都市計画協会の前身は、当時の内務大臣後藤新平(ごとうしんぺい)が中心となり大正6年(1917)設立した「都市研究会」です。後藤は当時の都市・建築行政・研究の最先端にいるメンバーを集め、都市政策に理解のある有力者を顧問や理事に据えることで、都市研究の一大拠点をつくりました。

大正12年(1923)関東大震災によって東京の街がほぼ壊滅したとき、後藤はそれを都市改造の千載一遇のチャンスと捉え、約30億円の復興計画「帝都復興計画」を提唱しました。あまりにも大規模な計画だったため、実際の復興事業は縮小されて現実的な範囲で進められました。しかし、土地区画整理と道路整備、橋梁や公園などの建造物は、100年経った今でも都市・東京の骨格として重要な基盤であり続けています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

欧米の近代都市にならって東京を再開発するという後藤新平の構想は、スケールの大きさゆえに絵に描いた餅と揶揄されたそうです。都市計画とは、中長期的な視点で都市の理想像を打ち立て、それに向けて準備すること。評価が妥当になされるまで少なくとも100年くらいの時間が必要なのかもしれません。
季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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