■5月25日「東京上野、五條天神社 例大祭」です■
「五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)」は、古来より医薬、禁厭(きんえん=まじない)の神として信仰されます。第12代景行天皇時代、日本武尊が東夷征伐の折り、上野忍が岡を通った際に「薬祖神」(祭神2柱)の加護に感謝し祀ったのが始まりです。
◆五條天神由緒
五條天神は、景行天皇(第12代天皇(在位:実在したとすれば4世紀前半)で日本武尊の父。)の御代、日本武尊(ヤマトタケル)、蝦夷征伐の為、忍ヶ岡を御通行の際、二柱の大神(大己貴命、少彦名命)が奇瑞を現し(めでたいことの前ぶれとして起こる不思議な現象)、難儀を救い給うた事に感じて、両神をお祀りなされましたのがその創祀です。
大己貴命は大国主命とも言い、「山またの大蛇」を退治した須佐之男の命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童話で知られており、また縁結びの信仰も厚い神様です。
少彦名命(七福神のえびす様)は、大国主命の手のひらに乗ったといわれる非常に小さな神様で、神産日神の御子、蛾の皮の着物に豆の実のさやを舟にして出雲の国に到着。ここで大己貴命と兄弟の縁を結び始めて国民に薬の術と病を治す方法、またお酒の作り方等も教え、国土の開発に力を尽くしました。
相殿に祀る菅公(菅原道真公)は、江戸時代初期の寛永18年(1641)に合祀、神社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職屋敷内に、大正に至るまで遷座されましたが、昭和3年(1928)に上野の現地に遷座されました。
*「相殿」とは、主神に対して後から合祀、又は配祀せられた神様)
当社は古くから「天の神」を祀ることにより「五條天神」と称され東都では有数の古社です。古くから「薬祖神」としての尊崇が篤く、平成22年(2010)5月、鎮座壱千九百年記念大祭が斎行されました。由緒ある御社です。
以来、1890余年の間「東の大洗磯崎神社」(茨城)「西の少彦名」(大阪)とともに「三薬祖神」のひとつとして敬われてきました。また、「江戸三大天神」(亀戸天神社・谷保天神社)のひとつにも数えられています。
ちなみに、谷保天神(谷保天満宮=東京都国立市)は、郊外にあるので参詣途中で日が暮れてしまうとか。なので「野暮天神」といわれ、野暮天の語源となったといわれています。
「大己貴命(おおなむちのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」の祭神2柱は、兄弟の緑を結び、疫病や耕病に苦しむ人々に製薬と治療の方法を授けたことから医薬の祖神として信仰されました。
江戸時代初期、当時の神職の瀬川屋敷内に「歌道の租」として祀られ、菅原道真が後に合祀されたとされ「下谷天満宮(したやてんまんぐう)」といわれていました。瀬川屋敷は後に「五條天神社門前町」となり、社殿は大正13年(1924)に現在地へ移りました。
五條天神では、節分に「うけらの神事」という古式ゆかしい独特の豆まきを行います。
天神祭では、神楽の奉納・神輿渡御など。大道芸が見られるのも上野公園ならではです。上野の杜を本神輿と女神輿が渡御します。日本橋にある「東京薬事協会」ビル屋上には、分霊を祀る薬祖神社があり、例祭・医薬祭などが行われています。
五條天神社
◇東京都台東区上野公園4-17
◇JR・営団地下鉄・京成電鉄「上野駅」
◆五條天神社(東京都神社庁):http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3045/
◆五條天神社例大祭(台東区):https://www.city.taito.lg.jp/event/kanko/gozyoutenzinzya.html
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
5月の江戸の祭りといえば「三社祭り」「神田祭り」が有名です。上野の五條天神祭、湯島天神祭は、暦の上では「梅雨」入り前の祭礼で、残念ながら天候に恵まれないこともあります。
季節の変わり目です。お出かけの際には、お体ご自愛専一の程
筆者敬白