2023.05.18
5月

令和5年(2023)5月21日 真宗本派、親鸞聖人誕生会 です。

■5月21日「真宗本派、親鸞聖人誕生会」です。■

鎌倉時代初期の日本の僧「親鸞(しんらん)」は、浄土真宗の開祖で「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」と尊称されます。浄土宗の開祖「法然(ほうねん)」を師と仰ぎ、生涯に渡り「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、それを高めることに力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の法界寺(真言宗醍醐派別格本山)、日野誕生院(浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範の長男として誕生。母は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘・吉光女とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」。

出家後「叡山」(比叡山延暦寺)に登り、天台宗の僧として不断念仏の修行を20年にわたり積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山。聖徳太子の建立とされる「六角堂」(京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句を得ます。

夢告に従い、夜明けに東山吉水の法然の草庵を訪ね、岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結び、百日にわたり法然の元へ通い聴聞。「専修念仏」の教えに触れ、入門を決意します。「綽空(しゃっくう)」の名を与えられ、研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺の訴えにより専修念仏の停止と、4名を死罪、法然、親鸞ら8名が流罪となります(承元の法難)。
この時、法然と親鸞は僧籍を剥奪されます。法然は「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信(ふじいよしざね)」を与えられます。法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に配流されました。
親鸞は「善信」の名を俗名に使われたことから、「愚禿釋親鸞(ぐとくしゃくしんらん)」と名乗り、非僧非俗の生活を開始。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、ひたすら生まれた意義と生きる喜びを尋ねた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚されました。

三帰依文(さんきえもん)』に「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」と教えられています。自らの生のもつ真の意義を明らかにできないのが人間…といい、自己の生の真実に目覚めたつことが真の誕生…と説きます。如来の本願に帰して生きる新しい生の誕生を語り伝えています。
この日、真宗の寺院では御誕生会が行なわれます。

◇法界寺(ほうかいじ)
◇藤原氏一門の貴族・日野家の菩提寺
※定朝作(仏師)・伝阿弥陀如来像(国宝)
◇「親鸞聖人を訪ねてー法界寺」:https://www.shin.gr.jp/shinran/site/s_001.html

◇日野誕生院(ひのたんじょういん)
◇京都府京都市伏見区日野西大道町19
◇JR「六地蔵駅」徒歩25分
◇「親鸞聖人を訪ねてー誕生院」:https://www.shin.gr.jp/shinran/site/s_002.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

親鸞聖人の誕生会を機会に「生きる」ことの意味ほんの少しだけ考えてみましょう。大震災や天災が続き、生に対する喜びを素直に表現する方が増えたように感じます。「人として生まれたご恩徳」を喜びたいものです。
季節の変わり目です。暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込みます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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