■5月21日 東京、浅草「三社祭(さんじゃまつり)」です。■
「三社祭(さんじゃまつり)」とは、毎年5月に行われる「浅草神社」の例祭です。浅草神社は、通称「三社様(さんじゃさま)」、「三社権現(さんじゃごんげん)」と呼ばれます。
<三社権現>
草創に関わった文化人の土師真中知(はじのまなかち)・檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)兄弟を主祭神として祀り、この3人の霊をもって「三社権現」と称します。のちに東照宮(徳川家康)、大国主命を合祀しました。
その昔、3月中旬に祭が行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年には「本祭」が行われていました。正和元年(1312)「三社の神話」に基づき、船祭「舟渡御」が始められたと伝わります。平成24年で700回を迎えました。
<三社の神話>
推古天皇36年(628)檜前浜成・武成の兄弟が、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかりました。
地元の文化人だった土師真中知に相談したところ、これは観音像であると教えられ、漁師の二人は毎日観音像に祈念するようになりました。
その後、土師真中知は剃髪して僧となり自宅を寺としました。これが現在の「浅草寺」の始まりです。
土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが起源としています。
<江戸時代:観音祭・浅草祭>
江戸時代には「浅草寺(せんそうじ)」と一体で祭が行われ「観音祭」「浅草祭」と呼ばれていました。祭礼の中心は、氏子山車の行列だったようです。
早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合し、御倉前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣、各々芸能を演じ、随身門(二天門)を出て帰宅しました。
これを終えて神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。そこから船に乗せ、浅草川を漕いで上がり、駒形から上陸して浅草神社に担ぎ帰ったと伝えられています。
<明治時代:三社祭>
明治5年から5月17~18日に祭礼を行うようになり、氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。
現在では、交通事情や情勢の変化で両日の執行が不可能となり、昭和38年から17・18日に近い金曜日に神輿霊入れが行われ、土曜日に連合渡御、第三日曜日に本社神輿渡御を行っています。毎年150万人程の人出で賑わいます。>
浅草神社
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇地下鉄浅草線・地下鉄銀座線・東武伊勢崎線「浅草駅」徒歩7分
◇公式サイト:https://www.asakusajinja.jp
◆三社祭公式サイト:http://www.sanjasama.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本社神輿渡御(ほんしゃ みこしとうぎょ)も企画されていて勇壮な江戸の祭りが催されます。また、江戸下町の「下谷神社大祭」「鳥越神社例大祭」などの祭礼もあり、江戸の町はにぎやかな5月になりそうです。
残念なことに浅草神社のご朱印配布は、巫女や神官に対する暴力まがい行為や暴言などによって配布中止の報道です。しかもネットで高値で販売されるなど、行き過ぎた朱印ブームが問題になっています。
江戸(東京)では三社祭りが終わると、もうすぐ梅雨にはいります。季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白