■9月19日「彼岸入り」です。■
「彼岸(ひがん)」とは暦上の雑節のひとつです。春は「春分の日」を挟んで前後3日ずつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日ずつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の「彼岸会(ひがんえ)」のことを指す場合もあります。
彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
***彼岸伝来***
遥か彼方の「極楽浄土」に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意で、日本には、大同元年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。
***此岸(しがん)と彼岸(ひがん)***
彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多(はらみつた)」という梵語の漢訳「到彼岸(とうひがん)」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸(しがん)」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸(ひがん)」といいます。
***四方・八方・十方世界***
仏教では「四方(しほう)」=東西南北と、「四維(しい)」=南東・南西・北西・北東の八方位に、上下を加えた十方世界(じっぽうせかい)を説き、そこに諸仏の浄土を描く十方浄土を観念します。「浄土」は仏の住む処で、成仏するために精進する「菩薩の世界」です。
法華経では「この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ず」と説きます。この世で生きながら、心が清浄であれば、それが清浄の土であるという。毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)の蓮華蔵世界です。
★東方浄土=薬師如来
★南方浄土=釈迦如来
★西方浄土=阿弥陀如来
★北方浄土=弥靭菩薩
病のため出家した藤原道長は、九体の阿弥陀如来像を安置した京都の無量寿院(むりょうじゅいん)にて、仏像の手から延びる五色の糸を握り締め、西方浄土の極楽往生を信じつつ臨終しました。この姿から仏教信仰と方位観との具体的な結合がみてとれます。
のちに、道長の子の藤原頼道が天喜元年(1053)に建立した宇治・平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)には、阿弥陀如来像が安置され、「極楽いぶかしくば宇治の御堂をうやまへ(『扶桑略記』)」(極楽浄土の存在を信じられないなら宇治の平等院へ参詣しなさい)といわれました。
平等院の庭と建物は極楽浄土を表し「浄土庭園」と呼ばれます。鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が表されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。
ちなみに平等院鳳凰堂は国宝に指定されています。旧一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。
***ほたもち・おはぎ***
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」と呼びます。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
お彼岸を機会に先祖の墓参に出向きましょう。無心の愛で育ててくれた両親・祖父母なら、この局面をどう判断するだろうか、など日頃声に出せないことを墓前で問いかけてみましょう。亡き先祖の声がきっと心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白