■9月15日 京都、石清水八幡宮「石清水祭(いわしみずさい)」です。■
京都「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」は、大分の「宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)」、福岡の「筥崎宮(はこざきぐう)」とともに「日本三大八幡宮」のひとつに数えられています。通称「男山八幡宮」。社格は明神二十二社の上七社のひとつで旧社格は官幣大社、そして勅祭社(ちょくさいしゃ)〔※〕です。
平成28年(2016)、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として、本社10棟、附 棟札(つけたり むなふだ)3枚が国宝に指定されました。ほか、建造物8棟、五輪塔、多くの美術工芸品が国の重要文化財指定。本社は、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟とされています。
御祭神は、中御前に「誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)」、西御前に「比咩大神(ひめおおかみ=宗像三女神)」、東御前に「息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)」の三神を祀り「八幡大神(はちまんおおかみ)」と総称します。
「男山(おとこやま)」は、平安京の裏鬼門にあたります(表鬼門を守護していたのは比叡山延暦寺)。桂川、宇治川、木津川の3つの川の合流点の南にあって、「天王山」と対峙する交通の要衝であり、政治的にも重要な拠点でした。
清和天皇即位翌年の貞観元年(859)夏、弘法大師・空海の弟子で南都大安寺の僧「行教(ぎょうきょう)」が宇佐神宮に参詣した折「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けました。翌年、清和天皇の命により、男山の山頂に社殿を建立し創建とします。
「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺に由来。京都の表鬼門「比叡山延暦寺」と対峙して、京都の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受けました。
また、源氏、足利氏、徳川氏、今川氏、武田氏など、多くの清和源氏が氏神として信仰したことから、武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬されました。
現代では、松下電器産業創業者で経営の神様とも称された松下幸之助が深く信仰したほか、「八幡の八幡さん(やわたのはちまんさん)」と呼ばれて親しまれ、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を願って全国から参拝者が訪れます。
◆勅祭「石清水祭」
「石清水祭(いわしみずさい)」は、貞観5年(863)旧暦8月15日に八幡大神が男山の裾を流れる放生川のほとりに魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願ったのが始まりです。勅祭として斎行されたのは天暦2年(948)のこと。国家の安寧と国民の幸福が祈願されました。
※「勅祭」:とは、天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇からの供物を供えに参向される祭典のこと。全国8万社ある神社のなかで、勅祭が行なわれる神社(勅祭社)は16社です。石清水祭は、「葵祭(あおいまつり)」の名で親しまれる「賀茂祭」(京都)、「春日祭(かすがのまつり、かすがさい)」(奈良)とともに「三勅祭(日本三大勅祭)」のひとつに数えられています。
石清水八幡宮
◇京都府八幡市八幡高坊30
◇京阪電車「石清水八幡宮駅」下車~参道ケーブル「八幡宮口駅」-「八幡宮山上駅」徒歩5分
◇公式サイト:https://iwashimizu.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
経営の神様と呼ばれた「松下幸之助翁」が、深く信奉した岩清水八幡宮の例祭「石清水祭」です。
石清水祭は、
「真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる『神幸行列』、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される『奉幣の儀』は”動く古典”として貴重な文化財といえるでしょう」
とのコメントが公式サイトにあるとおり、平安絵巻が高尚典雅の風と表現される「動く古典」です。ぜひ一見したいものです。
お出かけの際には、昼間が暑くても9月の夕暮れはやや冷えるものです。
夜風などでお風邪をお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白