2024.09.02
9月
雑節・歴注・撰日

令和6年(2024)9月9日「重陽(ちょうよう)」です。

■9月9日「重陽(ちょうよう)」です。■

「重陽(ちょうよう)」とは五節句のひとつ。旧暦9月9日の節会(せちえ)のことで、「菊の節句」「九月節句」ともいいます。

◆重陽の意味
陰陽思想や易での「偶数=陰(いん)」「奇数=陽(よう)」から、奇数の極みは「9」であり、9月9日は陽(よう)が2つ重なることから「重陽(ちょうよう)」といい、大変めでたい日、節句とされました。「重九(ちょうく)」ともいいます。

◆菊の露を飲んで不老不死
重陽は邪気を祓い長寿を願う節会として、菊を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わしました。この日の前夜「菊の被綿(きせわた)」といって、まだつぼみの菊の花に綿をかぶせ、菊の香りと夜露を染み込ませて、宮中の女官たちが身体を撫でて拭う習慣がありました。

これは「菊の露を飲んで不老不死になった」という童話の一節から。『枕草子』や『紫式部日記』の中から、菊にまつわる風習をうかがうことができます。中国では、菊の花には不老長寿の効果がある薬としての信仰があり、鑑賞用としてより先に、薬用として栽培されていました。皇室の紋章ともなっている菊のルーツは、薬用として中国から伝わりました。

中国では、陰暦9月9日の重陽の日に酒肴や茶菓を持って丘に登り、「茱萸(しゅゆ)」の実がついた枝を、頭に飾って邪気を祓うという習慣もありました。茱萸とは「呉茱萸(ゴシュユ)」のことで、中国原産の雌雄異株の托葉低木です。和名は「からはじかみ」(『本草和名』より)。日本には雄株がないので種子はできませんが果実は漢方生薬となります。牧野富太郎博士は、日本では「茱萸はグミだと誤解」されていると指摘しています。

◆重陽の節句
古く唐代の重陽は、2~3日間にわたって祝われました。これは李白の「九月十日即事」からもうかがい知ることができます。日本には平安初期に伝わり「観菊の宴」という宮中儀礼となりました。「重陽の宴」「菊見の宴」とも。天皇をはじめ貴族たちが京都御所の紫宸殿(ししんでん、ししいでん)に集まり、杯に菊の花を浮かべた「菊酒(きくざけ)」を酌み交わし、群臣に詩歌を作らせたりして穢れを祓い長寿を願いました。
江戸時代には、重陽の節句は五節句〔※〕の中で最も公的な行事となり、武家では菊の花を酒に漬して飲み祝いました。

※五節句(ごせっく):年中行事を行う中で重要とされた日(節目)のことです。
・正月7日=人日(じんじつ)
・3月3日=上巳(じょうし)
・5月5日=端午(たんご)
・7月7日=七夕(しちせき)
・9月9日=重陽(ちょうよう)

◆庶民の重陽
旧暦の9月9日は、現在では10月にあたります。ちょうど田畑の秋の収穫の頃で、農山村や庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれて「栗飯」などで節句を祝いました。

江戸時代には盛んに行われていた重陽の節句が、現代では忘れられているのは、新暦の9月が菊の花が咲く時期ではないことが原因のひとつなのかも知れません。旧暦の重陽は全国的に菊の花が咲くころで重陽の宴や伝説と一致します。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

重陽と菊は切り離せません。重陽と菊のように、季節の草花を重ね合わせた暦は「八朔」などがあります。明治に新暦(太陽暦)が採用になって、旧暦と季節がずれてしまって、廃れていく節会や撰日など季節を題材にした暦の本来の意味が、伝わらなくなってしまったものが数多くあります。
日々暦の意味を知りましょう。世知辛い世の中で、今日という日の意味を知る心のゆとりが欲しいものです。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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