2023.09.25
9月

令和5年(2023)9月29日「曹洞宗、両祖忌」です。

■9月29日「曹洞宗、両祖忌」です。■

曹洞宗の開祖「道元(どうげん)」は、鎌倉時代の禅僧。日本に歯磨洗面、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたことで知られます。

道元は、4歳にして漢詩を、7歳の時には『春秋左氏伝』を、9歳で『倶舎論』を読んだという稀に見る才能を現しました。ところが、8歳の時に母を亡くします。世の無常を感じた道元は、次第に仏教に惹かれ、13歳で比叡山延暦寺の良顕(母方の叔父)を訪ね、翌年に出家し仏門に入ります。このとき「仏法房道元」と改名。

ところが、比叡山での修行中に大きな疑問を抱き、比叡山を降ります。真の仏法を学ぶため、貞応2年(1223)、宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗天童山の如浄禅師のもとに参じ入門します。ここで修行中、「只管打坐(しかんたざ)=ただ一心に座る」を極め、印可を受けます。

帰国後、建仁寺で『普勧坐禅儀』を著します。後に、京都深草の安養院にて『正法眼蔵』の第一巻となる「弁道話」を著し、これは開宗宣言とも言われます。

天福元年(1233)深草に興聖寺を建立。道元34歳。只管打坐の仏法を実践する道場には、人々が次第に集まり、僧団も拡大していきました。

比叡山の迫害を受け続けた道元は、寛元元年(1243)波多野義重の招きで、越前志比庄に移転します。寛元2年(1244)修行道場「大佛寺」を開きます。翌々年「永平寺」に改められました。

建長5年(1253)病床で『正法眼蔵』最後の巻「八大人覚」を著し、弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)に永平寺を譲り、療養のため京へ向かいます。同年8月28日、俗弟子の屋敷・京都高辻西洞院で死去。享年54歳。死因は瘍とされています。

永平寺」は、本尊を釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏とする曹洞宗大本山で、山号を吉祥山と称す出家参禅の道場です。永平とは「永久和平」の意。

室町時代「曹洞宗第一道場」の勅額を得て、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方mの広大な敷地に、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司、修行の中心となる「七堂伽藍」など70余棟の建物が、樹齢600年を超える老杉の巨木に囲まれ、静かに佇んでいます。

約150名の雲水たちは、荘厳な雰囲気の中で、道元が定めた厳しい作法により禅の修行を営んでいます。

大本山「總持寺」は、「瑩山(けいざん)」が58歳の時、能登の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師より譲られ、これを禅院に改めて「總持寺」と名付けたことに始まります。明治31年(1898)に七堂伽藍を焼失し、明治44年(1911)に能登から横浜市鶴見へ移りました。
瑩山は、正中2年(1325)8月15日、永光寺(石川県羽咋)にて62歳で亡くなりました。

道元禅師、瑩山禅師両祖大師が示寂した両日を、近代に入って太陽暦に換算したところ、不思議なことに、いずれも9月29日となりました。この日を「両祖大師のご命日」として「両祖忌」と定めました。
曹洞宗のお寺では、この日、道元禅師と瑩山禅師の両祖の御遺徳を偲び、報恩感謝の法要を営みます。

「少欲知足(しょうよくちそく)」=足るを知る
貧しいことが善でもありません。豊かなことが悪でもありません。貧富にかかわらず貪欲の心が起こるとき、人は美しい心を失います。仏心とは足ることを知る心のことです。

「無価大宝(むげたいほう)」
人の価値は、地位や財産や職業に関係ありません。知識や能力だけで人を評価すると、過ちを招きます。知識を生かす心に行いこそ大切。人の価値は心と行いから生ずるのです。

「只管打坐(しかんたざ)」=ただひたすら一心に座る
世間では「目的のない行為」は存在しないというのが通説ですが、何も求めない生き方。今は、今しかない。そして今を切にに生きる。そこから将来が生じてくるのです。座禅の心得から、生き方の心得を示しています。

永平寺
◇福井県吉田郡永平寺町志比5-15
◇えちぜん鉄道「永平寺口駅」~バス「永平寺門前」行、「永平寺」行
◇JR「福井駅」から直通バス「特急永平寺ライナー」約30分
◇中部縦貫自動車道「永平寺参道IC」から約5km
◇公式サイト:https://daihonzan-eiheiji.com

總持寺
◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
◇JR京浜東北線「鶴見駅」徒歩約5分
◇京浜急行線「京急鶴見駅」徒歩約7分
◇京浜急行線「花月総持寺駅」徒歩約7分
◇公式サイト:https://www.sojiji.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

平成23年(2011)東日本大震災で、当時、福島第一原子力発電所所長だった吉田昌郎さんは、精根尽きて現場から離れ、平成25年(2013)に他界しました。享年58歳。当初は髪の毛も黒々していて生気に満ち溢れていましたが、白髪が混じり疲れた姿となり、その仕事の熾烈さは映画にもなりました。
危険な業務にも果敢に取り組む姿勢は、どこか深い仏心を感じざるを得ませんでした。ご冥福をお祈りします。
読者の皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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