■9月11日「二百二十日」です。■
「二百二十日(にひゃくはつか)」は、雑節のひとつで、立春から数えて220日目のこと。
「二百十日(にひゃくとおか)」と同じ意味を持ち、徳川幕府の歴史編纂係「渋川春海」が載せたものです。「八朔(はっさく)」や「二百十日(にひゃくとおか)」と同様に、台風の襲来の警戒を促す暦注です。昔から「八朔」「二百十日」とともに「三大厄日」として恐れられてきました。
「厄日」とは、俗にいう「荒れ日」のことで、天候の悪い日の意です。台風が襲来すれば、稲は倒れて水に浸かったり、花が吹き飛ばされてしまい米が実らなくなります。農家にとっては凶作に見舞われる厄日とされます。
「二百十日」は徳川幕府の暦編纂係であった渋川春海が、品川の漁師から教わって作ったものだといわれています。
渋川春海は釣り好きで、二百十日の日にも品川の沖に舟を出そうとしました。その時、老漁師が海上の一点を指して「今日は立春から数えて210日目に当たるが、私の50年来の経験によると、このような日は午後から海は大荒れになる。だから釣りに出るのはよした方がいい」と言ったといいます。はたしてその日は大暴風雨になったそうです。
春海はこの気象現象を長らく研究し、貞享暦(1684)を編纂したときから記載したと伝わります。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
二百十日・二百二十日の台風の来襲は、商いの信用にも喩えられています。当座預金で支払う決済日手形が振出日から210日や220日の手形を「タイフー手形」「風手形」などと言って「飛ぶ」すなわち不渡りになるからと嫌がれます。
または、9月になって豊作になって収穫ができる。または、台風襲来で稲穂が吹き飛ばされて、収穫が出来なくなってしまう。
このように、どちらの喩えにも使われていて、商売上、長期間の信用が続かないといった意味で用いられます。
9月に入り、徐々に朝夕の気温が下がってきました。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白