■10月13日「嵐雪忌」です。■
「服部嵐雪:はっとりらんせつ」は、江戸時代前期の俳諧師で松尾芭蕉の門弟。淡路出身の武家の長男に生まれ、下級武士として常陸笠間藩主の井上正利に仕えました。
寛文12年(1673)松尾芭蕉に入門。不卜編「俳諧江戸広小路」に付句が2句入集したのが作品の初見。貞享5年(1688)に「若水」を刊行して宗匠となり、2年後には「其机:そのふくろ」を刊行して俳名を高めます。
元禄7年(1694)「露払」の斤に絡んで深川蕉門との対立を生じ、代えて「或時集」を刊行。また翌年には芭蕉の一周忌追善集「若菜集」を刊行しました。
芭蕉は嵐雪の才能を高く評価し、3月3日桃の節句に「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と称えましたが、嵐雪は芭蕉の奥州行脚にも送別吟を贈っていないなど、師弟関係に軋みが発生し風波は激しかったようです。
江戸で芭蕉の訃報を聞いた嵐雪は、その日のうちに一門を参集して芭蕉追悼句会を開いています。そして桃隣と一緒に芭蕉が葬られた義仲寺に向かいます。義仲寺で嵐雪が詠んだ句は「この下にかくねむるらん雪仏」互いに師弟の強い信頼関係があったのも事実です。
宝永4年(1707)10月13日没。享年54歳。辞世句「一葉散る 咄ひとはちる 風の上」。追善集に百里斤「風の上」などがあります。