2019.10.12
10月

10月15~16日「新宮、熊野速玉大社祭」です。

■10月15~16日「新宮、熊野速玉大社祭」です。■
121013_20.jpg熊野速玉大社:くまのはやたまたいしゃ」は、熊野三山の一つで、熊野新宮とも称される熊野神社の総本宮です。

熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」を主祭神として十二柱の神々を祀り、「新宮十二社大権現」として全国から崇敬を集めています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。

熊野権現御垂迹縁起
によれば、唐の天台山より飛行、日本国鎮西の日子山(英彦山)の八角の水晶の姿で降臨し、更に伊予国の石槌山や淡路の遊鶴羽の峰、紀伊国牟婁郡切部山を経て、熊野新宮の南に位置する神倉山に天降ったとされます。

熊野速玉大神
は「伊邪那岐神:いざなぎ」、熊野夫須美大神は「伊邪那美神:いざなみ」とされますが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれます。神倉山の旧宮に対し、現在の社殿を新宮とも呼びます。

111011_19.jpg「権現」とは「仮に現われる」の意。神様は御殿の中の最も清浄な奥処に鎮まり、そのお姿を直接見ることが出来ません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透します。


奈良朝末期に至り、熊野速玉大神は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける「千手観音菩薩」、家津美御子大神は来世浄土へ導く「阿弥陀如来」として位置付けられ、山伏や熊野比丘尼によって「熊野権現信仰」は飛躍的な拡がりを見せました。

更に中世熊野信仰の興隆に伴い、皇室・公卿・武士中心から庶民信仰へと発展。過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。

15~16日に行われる例大祭では、速玉大神が神馬に奉安され、御旅所「杉のお仮宮」に渡御し、松明の灯りの中、おみたまと呼ばれる特殊な神饌などが供えられ、古儀な神事が行われます。16日午後には、神輿で熊野川原まで渡御した後、朱塗りの神幸船に乗って御船島を目指し、先導の9隻の早船競漕が行われます。(下記※本年度御船祭について※参照

神代の時代絵巻を今に伝える御船祭。緒手船神事の中で9隻の船が競漕する船渡御は、全国に類のない伝統ある神事で県指定の無形民俗文化財となっています。

熊野速玉大社
◇和歌山県新宮市新宮1
◇JRきのくに線「新宮駅」徒歩5分
◇公式HP
http://kumanokaido.com/hayatama/

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