■10月12日「横浜鶴見、総持寺御征忌会」です。■
「總持寺:そうじじ」は、福井県永平寺と並ぶ曹洞宗大本山の一つ。釈迦の教えを日本に伝え、永平寺を開いた「道元禅師」(高祖)、總持寺を開いて教えを全国に広めた「瑩山禅師」(太祖)を「両祖」と呼び、釈迦と併せて「一仏両祖」として祀られます。
はじめ、石川県の「諸嶽寺」を元亨元年(1321)太祖・瑩山禅師が「諸嶽山總持寺」と改めました。明治の焼失を機に横浜市に移転。開かれた禅苑として国際的な「禅の根本道場」となっています。
道元禅師の教えを受け継いだ四代目「瑩山禅師:けいざんぜんじ」は、文永5年(1268)現在の福井県武生市に誕生。父は土地の豪族・瓜生氏、両親ともに信仰深く、母が観音様に祈願を込め、その霊験によって生まれたのが禅師といわれています。
8歳にして永平寺に登り、三代徹通禅師に弟子入り。永平寺での修行は厳しくも鍛えられ、13歳の春に、二代目懐弉禅師について得度を受けます。18歳で諸国行脚修行の旅に出ます。
21歳の秋、永平寺の「徹通禅師」の元に戻った禅師は、その翌年に徹通禅師のお供として永平寺に別れを告げ、金沢の大乗寺へ移ります。
修行7年の後、27歳にして平常心是道も公案を開き教えを体得、翌28歳の正月徹通禅師の教えを継ぎました。徹通禅師を助けて布教活動に専念するうち35歳で大乗寺2世となり、45歳で能登に永光寺を開きます。
54歳の春、羽咋市の近くの諸嶽寺の定賢律師の願いを受け入れ、その寺に入って「総持寺」と改めます。翌年、後醍醐天皇より「曹洞宗出世道場」という額と紫衣を賜り大本山となりました。
正中2年(1325)夏、病床に倒れた瑩山禅師は、9月29日、58歳の生涯を閉じます。「御征忌会:ごしょうきえ」では、御開山瑩山禅師、二祖峨山禅師の御遺徳を偲び報恩修行が行われます。
總持寺
◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
◇JR「鶴見駅」徒歩5分
◇総持寺HP:http://www.sojiji.jp/
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」
良寛和尚が、遺言として残された和歌です。良寛さんは、自然に逆らわない、ありのままの生き方を生涯貫きました。
身近にある一見何の変哲もない自然の、そのありのままの尊さ、そして、その尊さを知る心こそ、後世に残すべき『本当の宝』であると言い残されたのでしょう。
筆者敬白