2026.10.19
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令和8年(2026)10月26日 宮﨑神宮「例祭」、10月31日~11月1日「御神幸祭(神武さま)」です。

■10月26日 宮﨑神宮「例祭」、10月31日~11月1日「御神幸祭(神武さま)」です。■

「宮﨑神宮(みやざきじんぐう)」は、日本の初代天皇「神武天皇(じんむてんのう)」を祀る旧官幣大社です。土地の人びとに「神武さま(じんむさま)」と呼ばれ親しまれています。旧社名:「宮崎神社」「宮崎宮」など。

主祭神として

「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)」…神武天皇

を祀り、

「鵜鷀草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)」…父神
「玉依姫命(たまよりびめのみこと)」…母神

の2柱を配祀しています。

創建は、神武天皇の孫「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」が、神武天皇が「東征」以前に宮を営んでいた地「日向国(ひゅうがのくに、ひむかのくに)」に創祀したことと伝わります。

社伝によると、第10代「崇神天皇(すじんてんのう)」の時代に初めて社殿が建てられ、第12代「景行天皇(けいこうてんのう)」の熊襲(くまそ)征討の際に重ねて造営され、さらに第15代「応神天皇(おうじんてんのう)」の時代からは日向国造の祖「老男命(おいおのみこと、景行天皇の皇子の孫)」が祀るようになりました。

いずれも神話の時代の話ですが、古くから神武天皇がこの地に祀られていたのは確かで、歴代領主の崇敬を集めてきました。明治維新以降は、神武天皇の最初の宮の地として、さらに重視されるようになりました。

明治31年(1898)「神武天皇御降誕大祭会」が組織され、全国から多くの寄付を集めて現在の社殿が整備され「宮﨑神宮」と改称。現在の社殿は明治40年(1907)に建てられたものです。設計は、日本の古代建築の研究・設計の第一人者として知られる建築家・建築史家の「伊藤忠太(いとうちゅうた)」。

本殿は伊勢神宮と同じ切妻屋根の「神明造(しんめいづくり)」で、通常神社建築に用いられる檜(ひのき)ではなく、宮崎県高原町(たかはるちょう)の「狭野神社(さのじんじゃ)」境内に植えられている貴重な「挟野杉(さのすぎ)」が使われているのが特徴的です。

宮崎平野の南部に位置する境内は広大で、25ヘクタールの敷地には「宮崎県総合博物館」や「宮崎神宮徴古館(みやざきじんぐうちょうこかん)」(宮崎神宮の宝物館)があります。一ノ鳥居から二之鳥居まで、およそ800mのびる境外表参道には梛(なぎ)の並木が植えられています。

◆「例祭」「御神幸祭(神武さま)」

毎年10月26日、「例祭」が斎行されます。神武天皇が「八紘一宇の皇謨(はっこういちうのこうぼ)」〔※〕を樹て、日向の国を出立した日を現在の暦にあてはめると10月27日となり、その前日(10月26日)を例祭と定められたと伝わります。

その後の土・日曜日は「御神幸祭(神武さま)」が盛大に行なわれ、神武天皇が東征して大和を平定し橿原宮で即位したことを偲び奉ります。日向の人びとはこの祭りのことも「神武さま」と呼んで親しみ、五穀豊穣を祝います。

「神武さま」を自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることができないため、「せめて年にいちど御神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが祭りの始まりだそうです。

御神幸祭の「御神幸行列」は御獅子を先頭に御鳳輦(ごほうれん)、稚児行列等が荘厳かつ華麗に、そして御神幸行列に続く「神賑行列(しんしんぎょうれつ)」は、神武天皇東征時の古代船「おきよ丸」や花嫁姿の艶やかな「ミスシャンシャン馬」など、宮﨑神宮から御旅所まで練り歩きます。

「御神幸祭」は「宮﨑神宮大祭(みやざきじんぐうたいさい)」と銘打たれ、宮崎の秋の一大イベントであり風物詩となっています。この日は多くの観光客が訪れ、沿道は見物の人びとで賑わいます。

※八紘一宇の(はっこういちうのこうぼ):神武天皇が大和橿原(やまとかしはら)に都を定めたときの神勅に「六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」(『日本書紀』)とあることから、「全世界をひとつの家にすること」を意味する。「皇謨(こうぼ)」は「天皇が国家を統治する計画」のこと。

宮﨑神宮
◇宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
◇JR日豊本線「宮崎神宮駅」徒歩10分
◇公式サイト:https://miyazakijingu.or.jp

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