2026.10.06
10月

令和8年(2026)10月13日「日蓮聖人忌」です。

■10月13日「日蓮聖人忌」です。■

「日蓮(にちれん)」聖人は鎌倉時代の仏教の僧で、日蓮宗(法華宗)の宗祖です。貞応元年(1222)2月16日、安房国長狭郡(安房郡天津小湊町)に生まれ、幼名「善日麿」と伝わります。

天福元年(1233)千葉鴨川の清澄寺(せいちょうじ)の「道善(どうぜん)」を師とし入門。暦仁元年(1238)に出家し、「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」の名を与えられ、仁治元年(1240)比叡山に遊学。高野山でも勉学に努め、仏経典を研鑽した結果「法華経」こそ釈迦の本懐であるという結論に至りました。

建長5年(1253)清澄寺に戻り、4月28日朝、昇る太陽に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を唱えて立宗宣言。持仏堂にて仏教教義を広めました。建長6年(1254)鎌倉に出て弘教(ぐきょう=弘めること)を開始。この頃から「日蓮」と名乗ります。

文応元年(1260)『立証安国論(りっしょうあんこくろん)』を執筆。これには法華経を信じなければ「自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)」(内乱)、「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」(他国からの侵略)などの災いが起こると説き、これを時の幕府最高実力者「北条時頼(ほうじょうときより)」に送ります。文永5年(1268)「蒙古」から国書が届き、他国からの侵略の危機が現実となります。

他の信仰を批判していた日蓮は、他宗の僧らにより襲撃されたり、幕府により濡れ衣を着せられて流罪にされたりしました。文永8年、幕府や諸宗を批判したと捕らえられましたが、龍ノ口刑場(たつのくち、藤沢市片瀬)にて処刑中に刀が折れるという怪異が起こました。処刑は中止され、その後、佐渡へ流刑にされます。

佐渡へ流罪中、日蓮は『開目抄(かいもくしょう)』『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』などを著述し、末法における「法華曼荼羅(ほっけまんだら)」を完成させました。日蓮宗では「大曼荼羅(だいまんだら)」あるいは「大曼荼羅御本尊」といいます。

文永11年(1274)春、御赦免となった日蓮は幕府に3度目の諌暁(かんぎょう:いさめ、さとすことを試みましたが、幕府は一向に聞き入れませんでした。

その後、日興上人の弟子で身延の波木井実長(はきりさねなが、はきい、はぎり:南部実長のこと)の領地に入山して、「身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)」を建立しました。この年、蒙古が襲来。

弘安2年(1279)10月「本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊(だいごほんぞん)」図を顕しました。

弘安5年(1282)10月、弟子のなかから後継者を定めました。後継者6人は「六老僧(ろくろうそう)」と呼ばれます。この年、病気療養のため常陸へ湯治に向かう途中、武蔵国池上の郷主「池上宗仲(いけがみむねなか)」の居館にて亡くなりました。

没後、「日蓮大菩薩」(後光厳天皇・1358)の位を授けられ、「立正大師(りっしょうだいし)」(大正天皇・1922)の諡号が贈られました。

この日、全国各地で「お会式(おえしき)」)と呼ばれる法要が営まれます

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