■10月14~15日 姫路、松原八幡神社「灘のけんか祭り」です。■
「松原八幡神社(まつばらはちまんじんじゃ)」は、姫路市白浜町(しらはまちょう)に鎮座します。主祭神に「品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)」を祀り、「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)」「比咩大神(ひめのおおかみ、比咩三神)」を配祀しています。
社殿によると、天平宝字7年(763)発卯4月11日、九州豊前国「宇佐」より白雲が東にたなびいて、毎晩、松原村の沖の海底に光り輝くものがありました。国司が妻鹿(めが)の漁師、倶釣(久津理)に命じて網を入れさせると、「宇佐第二垂跡(すいじゃく)八幡大菩薩」と書かれた1尺ほどの紫檀(したん)の霊木があがったので、妻鹿川の下流の大岩の上に安置して祀りました。これが当時の朝廷に聞こえ、勅使が下向し妻鹿の北東の山頂(お旅山)に仮殿を造って御神体をお遷ししました。
ある夜、国司は夢を見て「我が永久に鏡座しようと思う所は今は、海原であるが、そこを一夜にして白浜とし、粟(あわ)が生じるように数千の松を生やすから、そこに達して祀れ」という神のお告げを聞きました。そこで、国司は諸国の工人を集め、豊前の「宇佐八幡宮(宇佐神宮)」に倣って立派な社殿を造営し、御神体を現在の松原の地にお遷ししました。以来、そこを「粟生の松原」といいます。
何度となく焼失してしまいましたが、そのたびに復興され、現在の社殿は大正13年(1924)に建造、平成7年(1995)に復興したもの。延宝7年(1679)に建立された「楼門(随神門)」は、市の有形文化財にしていされています。風光明媚な浜辺に鎮座し、天皇のご祈願所として天下泰平・国土豊饒の祭儀を行なってきました。
◆灘のけんか祭り
毎年10月14、15日の両日にかけて盛大に行われる「灘のけんか祭り」は、松原八幡神社の「秋季例大祭」です。「灘まつり」「妻鹿(めが)のけんか祭り」とも呼ばれます。もともとは8月に行なわれていた「放生会」の行事でした。豪華絢爛な屋台の練り合わせで知られる播州の秋祭り「灘のけんか祭り」は、「松原八幡神社秋季例祭風流」として、姫路市と兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されています。
14日「宵宮」
早朝、「練り出し」の始まった旧7ヶ村の屋台が、町内を一巡し、鎮守社に詣でたあと、松原八幡神社へ向かいます。この宮入りの順は江戸時代から変わらず、東山、木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村の順です。日が暮れるまで、各村の屋台同士が練り競う「練り合わせ」が行なわれます。夕方になると各屋台には提灯や電飾が点され、「ヨーイヤサー」の掛け声で、楼門前で練り競う様子を見物に多くのひとが集まります。
15日「本宮」
早朝、担ぎ手たちは、海に入って身を清める「潮かき」の儀式を済ませ、安置してある3基の神輿を担ぎ出して、宮内で練り合わせ、屋台とともにお旅所に向かいます。
お旅山のふもとの「練り場」に着いた3基の神輿は、ここで壮絶なぶつけあい「練り合わせ」を行ないます。「けんか祭り」と呼ぶのにふさわしい激しさが観衆を魅了します。
その後、神輿の練り番に当たる地区を除く6台の屋台が次々と練り場に進みます。色とりどりの「シデ棒」が美しく波打つなか、勇壮華麗な練りを見せます。
祭礼の主要行事である御旅神社への神事渡行を氏子たちが執行し、日暮れ時に神輿は松原八幡神社へ還御、屋台はそれぞれの村に帰り、祭行事の幕を閉じます。
3基の神輿がぶつかり合い、7台の屋台が練り競う、とても激しく、とても華やかなお祭りです。全国に数ある「けんか祭り」のなかでも最大規模で、「播磨(はりま)」を代表するお祭りです。
松原八幡神社
◇兵庫県姫路市白浜町甲399番地
◇山陽電鉄「白浜の宮駅」徒歩約3分
◆紹介サイト「灘のけんか祭り」(有限会社 東芸):https://www.nadamatsuri.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
天下の奇祭、日本最大規模のけんか祭りです。神輿のぶつかり合い、屋台の練り競いなどけんか祭りそのものです。最近は安全にばかり気配りして、年寄り神輿の祭りばかりになったものだとは祭り好きのコメントです。
めっきり秋めいてきたこの頃です。天下の奇祭にお出かけ下さい。
時節柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白