■10月18日 東京、浅草観音「菊供養会(きくくようえ)」です。■
聖観音宗総本山「浅草寺(せんそうじ)」の本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)、山号は金龍山(きんりゅうざん)。浅草寺(あさくさでら)と呼ばれ親しまれ、江戸時代には徳川家康が幕府の祈願所に指定し、下町文化の中心的存在になりました。江戸三十三箇所観音霊場の札所1番。
大化元年(645)勝海上人という僧が寺を整備し、夢告により本尊を秘仏と定めたといわれます。さらに平安時代初期の天安元年(857)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が「お前立ち」の観音像を造ったと伝わります。観音像は、高さ一寸八分(約5.5cm)の金色の像であると言われますが、公開されることのない秘仏のためその実体は不明です。
◆菊供養会
「菊供養会(きくくようえ)」は、信徒の持参した献菊と、献菊されていたもの(下供菊)とを交換して供養するものです。「供華会(くうげえ)」ともいいます。
始まりは明治30年(1897)10月11日(旧暦9月9日「重陽」)。謡曲「菊慈童」には「此の妙文を(観音経八句の偈の中四句)菊の葉に、置く滴りや露の身の、不労不死の薬となって、九百歳を送りぬを、汲む人も汲まざるも、延ぶるや千年(ちせ)なるらん」とあります。これは「重陽の宴」や「菊の被綿(きせわた)」の行事となっています。
浅草寺では菊の出廻る頃、10月18日の観音薩捶の縁日を期して「菊供養会」を行います。
菊供養会の日、「金龍の舞」が奉演されます。伝法院(でんぼういん:浅草寺の本坊)から浅草寺仲見世通り(なかみせどおり)を、全長18m、重さ88kgの金色の龍が勢いよく舞い進みます。
金龍の舞は、飛鳥時代、漁師の兄弟が隅田川で投網にかかった尊像を見つけた日、「一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ、3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中にくだった」という伝説に由来し、「本尊示現会(3月18日)」と「菊供養会」で奉演されます。
浅草寺
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇都営浅草線・銀座線・東武鉄道「浅草駅」徒歩5分
公式サイト:https://www.senso-ji.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦での重陽の節句近くは、ちょうど菊の開花時期です。菊人形の披露など、菊にまつわる催しやイベントが各地で開かれます。10月は秋祭りのピークで、菊供養、重陽の節句など収穫を祝うものが多いようです。
朝晩が冷え込みます。ひと雨がごとに冬の気配が濃くなります。お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白