■10月15日(旧9月13日)「十三夜(じゅうさんや)」です。■
「十三夜(じゅうさんや)」とは、旧暦9月13日のことで「十三夜月」「十三日月」。特に、十三夜は「後の月(のちのつき)」として「十五夜」についで美しいとされ、宮中で延喜19年(919)に宇多天皇(うだてんのう)が十五夜の宴に次いで十三夜に観月の宴を催したことが十三夜のお月見の始まりと伝わります。
十三夜は「女名月(おんなめいげつ)」といって、宮中に限らず、この日ばかりは女性が幅をきかすのだとか…。
農家では「小麦の月見」といって、天気が良く、観月できたら、小麦が豊作になるとされています。秋の収穫を感謝する祭りなどが多く行われます。
◇栗名月、豆名月◇
「十五夜」を中秋の名月と呼ぶのに対し、「十三夜」は「栗名月」「豆名月」とも言います。
十五夜に次いで美しい十三夜の月を拝むと、「成功」「出世」「財運」「子宝」に恵まれるとも云われています。十五夜は中国伝来ですが、十三夜は日本古来からの風習で平安時代に広く伝わりました。時期から秋の収穫祭のひとつではないかと考えられています。
◇「片月見、片見月」◇
十三夜は、十五夜に次いで美しい月とされ十五夜のお月見をしたら十三夜にもお月見を催すものとされています。これは十五夜のお月見だけをすることを「片月見」「片見月」と呼んで縁起がよくないともされていました。
◇「月待ち」◇
旧暦では十三夜、十五夜、十七夜、二十三夜、二十六夜など特定の月齢の晩に、人々が集い(多くは女性のみ)供物を備えて、月を拝んで会食する「月待ち」をする風習がありました。
月待ちの「待ち」は「月の出るのを待つ」ではなく「月をマツル(祀る)」の意です。現在は「太陽暦」(男性:太陽)を採用していますが、「月待ち」の風習から旧暦(太陰暦:女性:月)では、月と女性が尊ばれていたのがわかります。
各地に「二十三夜塔」や地名が多く残っていることから、特定の月齢の中でも「二十三夜待ち」が最も多く行われていたようです。これは満月の後の半月が特別なものとされていたからです。
◇「二十六夜」◇
江戸時代には、正月と7月の二十六夜に、海を臨む高台へ昇り、月が出るのを待ち徹夜する行事も記録されています。正月、5月、9月、11月に神事として「観月」する土地や地域が今でも残っています。歌川広重『東都名所』にも、高輪の海岸で二十六夜の月の出を待つ人々で賑わう様子が描かれた一枚があります。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
江戸時代の臨済宗の禅僧「仙厓(せんがい)」はユーモラスな書画を多く残していますが、その代表作のひとつが、子どもと戯れる布袋さまがほほえましい「指月布袋画賛(しげつほていがさん)」です。
絵には月の姿は描かれていませんが、賛文の「を月様幾ツ 十三七ツ」の「十三」は十三夜、「七ツ」は七つ時のこと。月が遠くはるか彼方にあるように悟りの境地には容易に達することはできないという禅の教えを、わらべうたを歌うような愛らしさで説いています。