2024.10.06
10月

令和6年(2024)10月13日「嵐雪忌」服部嵐雪(はっとりらんせつ)の命日です。

■10月13日「嵐雪忌」です。■

「服部嵐雪(はっとりらんせつ)」は、江戸時代前期の俳諧師で松尾芭蕉の高弟。淡路出身の武家の長男に生まれ、下級武士として常陸笠間藩主の井上正利に仕えました。

寛文12年(1673)松尾芭蕉に入門。岡村不卜(おかむらふぼく)編『俳諧江戸広小路』に付句が2句入集したのが作品の初見。貞享5年(1688)に『若水』を刊行して宗匠(そうしょう:和歌・連歌・俳諧・茶道・花道などの師匠)となり、2年後には『其机(そのふくろ)』を刊行して俳名を高めます。

元禄7年(1694)『露払』の編纂に絡んで深川蕉門との対立を生じ、代えて『或時集(あるときしゆう)』を刊行。また翌年には芭蕉の一周忌追善集『若菜集』を刊行しました。

芭蕉は嵐雪の才能を高く評価し、3月3日桃の節句に「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と称えました。宝井其角(たからいきかく)は芭蕉の第一の高弟で、嵐雪は其角と並び「蕉門(しょうもん)」〔※〕の双璧をなしました。しかし、嵐雪は芭蕉の奥州行脚にも送別吟を贈っていないなど、師弟関係に軋みが発生し風波は激しかったようです。

江戸で芭蕉の訃報を聞いた嵐雪は、その日のうちに一門を参集して芭蕉追悼句会を開いています。そして天野桃隣(あまのとうりん)と共に芭蕉が葬られた滋賀大津の「義仲寺(ぎちゅうじ)」に向かいます。義仲寺で嵐雪が詠んだ句は「この下にかくねむるらん雪仏」互いに師弟の強い信頼関係があったのも事実です。

※蕉門(しょうもん):松尾芭蕉の一門。「孔門十哲(こうもんじってつ:孔子の高弟10人)」にならって、芭蕉の特に優れた高弟10人を「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」という。10人が誰であるかは諸説あるが、其角、嵐雪、去来(きょらい)、丈草(じょうそう)は諸書を通じて十哲に挙げられる。

宝永4年(1707)10月13日没。享年54歳。辞世句「一葉散る咄ひとはちる風の上(ひとはちる とつひとはちるかぜのうえ )」。追善集に高野百里(たかのひゃくり)編『風の上』などがあります。

布団着て寝たる姿や東山
梅一輪いちりんほどの暖かさ
名月や煙はひ行く水の上
庵の夜もみじかくなりぬすこしづゝ
かくれ家やよめ菜の中に残る菊
我もらじ新酒は人の醒やすき
濡縁や薺こぼるる土ながら

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