2024.10.05
10月

令和6年(2024)10月12~15日 曹洞宗、總持寺「御両尊御征忌会(ごりょうそんごしょうきえ)」です。

■10月12~15日 曹洞宗、總持寺「御両尊御征忌会(ごりょうそんごしょうきえ)」です。■

「總持寺(そうじじ)」は、福井県永平寺(えいへいじ)と並ぶ曹洞宗大本山のひとつ。釈迦の教えを日本に伝え、永平寺を開いた「道元禅師(どうげんぜんじ、「高祖」)」、總持寺を開いて教えを全国に広めた「瑩山禅師(けいざんぜんじ、「太祖」)」を「両祖」と呼び、釈迦と併せて「一仏両祖」として祀られます。

はじめ、石川県の「諸嶽寺(もろおかでら)」を元亨元年(1321)太祖・瑩山禅師が「諸嶽山總持寺」と改めました。明治の焼失を機に横浜市に移転。開かれた禅苑として国際的な「禅の根本道場」となっています。

道元禅師の教えを受け継いだ四代目・瑩山禅師は、文永5年(1268)現在の福井県武生市に誕生。父は越前・越後の豪族「瓜生氏(うりゅうし)」で、両親ともに信仰深く、母が観音様に祈願を込め、その霊験によってこの世に生を受けたといわれています。

8歳にして永平寺に登り、三代徹通禅師(てっつうぜんじ)に弟子入り。永平寺での修行は厳しくも鍛えられ、13歳の春に、二代目懐弉禅師(えじょうぜんじ)について得度を受け、18歳で諸国行脚修行の旅に出ます。21歳の秋、永平寺の徹通禅師の元に戻った瑩山は、その翌年、徹通禅師のお供として金沢の大乗寺(だいじょうじ)へ移ります。

修行7年の後、27歳にして公案「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」を聞き大悟して教えを体得、翌28歳の正月、徹通禅師の教えを継ぎました。徹通禅師を助けて布教活動に専念するうち35歳で大乗寺2世となり、45歳で能登に永光寺(ようこうじ)を開きます。

54歳の春、諸嶽寺の定賢権律師(じょうげんごんのりっし)の願いを受け入れ、その寺に入って「總持寺」と改めます。翌年、後醍醐天皇より「曹洞宗出世道場」という額と紫衣を賜り大本山となりました。

正中2年(1325)夏、病床に倒れた瑩山禅師は、9月29日、58歳の生涯を閉じます。

大本山總持寺を開いた瑩山禅師、第二代峨山禅師(がさんぜんじ)を「御両尊」と呼び、10月12~15日の「御両尊御征忌会(ごしょうきえ)」では、遺徳を偲んで報恩修行が行われます。

總持寺
◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
◇JR京浜東北線「鶴見駅」徒歩約5分
◇京浜急行線「京急鶴見駅」徒歩約7分
◇京浜急行線「花月総持寺駅」徒歩約7分
◇公式サイト:https://www.sojiji.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

「平常心是道」は禅語のひとつです。瑩山禅師はこれに応じて「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す(さにおうては さをきっし、はんにおうては はんをきっす)」と答えたそうです。
「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」、お茶を飲むときはただひたすらお茶を飲み、ご飯を食べるときはただひたすらご飯を食べる。日々の暮らしのなかで物事をひとつひとつ行なうこと、それを続けることでようやく平常心を得られるのかもしれません。
筆者敬白

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