■10月2日(10月亥の日)「亥の子(いのこ)」です。■
「亥の子(いのこ)」は、旧暦10月(亥の月)の亥の日に行われる年中行事のこと。「亥の子の祝い」「玄猪(げんちょ)」「亥の子祭り」とも。
猪(いのしし)の多産にあやかり、亥の月の初めの、亥の日の、亥の刻(午後9~11時)に、新穀でついた「亥の子餅(いのこもち)」を食べ、無病と子孫繁栄を祈ります。また「亥の子節供は夕節供」の通り、子どもたちの行事もすべて夜に行なわれます。
もともと中国から伝わったもので、古代中国では旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習。日本では平安時代頃に始まり、宮中では亥の形をした餅を献上する儀式がありました。次第に貴族や武士にも広がり、民間でも行なわれるようになりました。
室町時代には「白・赤・黄・胡麻・栗」の五色の餅でしたが、近世になって小豆の入った薄赤色の餅となり、やがて牡丹餅となりました。
季節的には米の収穫が終わる時期にあたり、稲刈りが無事に終了したことを田の神様に感謝する収穫祭(刈り上げ祝い)の行事として、特に西日本で盛んに行なわれました。
亥の子の神は2月亥の日に田に降りて稲を守り、秋の刈入れ後の10月亥の日に帰ると考えられていました。中国地方などでは、2月の初めの亥の日に「春亥の子(はるいのこ)」として、長い冬が終わり農作業を始める春の訪れを祝う風習もあります。
この日、子どもたちが新しい藁(わら)を縄などで巻いて棒状にした物を手に持り、村々の家をまわって地面を叩きます。これを「亥の子突き」といいます。
この時、子どもたちは「亥の子餅をつかん者は鬼を生め、蛇を生め、角の生えた子を生め」などと唱え、道すがら餅やお菓子、お小遣いなどを貰って歩きます。餅などを貰うと「繁盛せえ、繁盛せえ」と唱え、何も貰えないと「貧乏せえ、貧乏せえ」と悪たれを言います。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「亥の子」は子どもの成長を願っての暦注です。詳しい云われは不明ですが、秋の収穫を感謝する祭礼の一環だったようです。
10月8日は二十四節気の「寒露」で、季節も秋本番。今年の紅葉は綺麗に色づくでしょうか。台風の通過、朝晩の寒さがこれからの季節を予感します。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白