■11月23日「勤労感謝の日」です■
勤労感謝の日は、「国民の祝日に関する法律」簡便称呼で「祝日法」(昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。昭和23年(1948)に公布・施行された祝日法によって制定されました。
大東亜戦争前の日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。また、その年の収穫物は国家としても1年を養う大切な蓄えとなることから、農産物・海産物など収穫物に感謝する大事な行事として、飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった「新嘗祭:にいなめさい、しんじょうさい」の日があります。
大東亜戦争後のGHQの占領政策によって皇室の祭祀、国事神道行事から切り離される形で「勤労感謝の日」に改められました。
このような歴史的経緯で「新嘗祭」だった祝日が新たに「勤労感謝の日」として制定されたのです。
祝日法の趣旨の中の「勤労をたつとび」とは、「収穫をもたらした1年の勤労を尊ぶ」の意なのでしょう。この日を中心に各地で「農業祭」が行われます。農林水産物展示会・資材展・技術研究発表会などが催され、優秀参加出品には天皇杯や農林水産大臣賞が授与されます。
■11月「2回目の卯の日」が旧新嘗祭(きゅうにいなめさい)です。■
大東亜戦争前の「新嘗祭」は明治4年(1872)迄、旧暦11月の2回目の「卯の日」に行なわれていました。
天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、自らも新穀を食して、その年の収穫に感謝するという皇室の祭祀でした。現在でも農業関係者による祭典という色彩が濃いのもこの頃の神事からの影響です。
新嘗祭自体は、伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて「大御饌:おおみけ=神が召し上がる食事」を供える形式となりました。
▼勤労感謝の日が11月23日という日付の由来、大東亜戦争前の新嘗祭の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたものです。新嘗祭は旧暦11月の「2回目の卯の日」に行われていました。
明治3年(1873)に太陽暦(現在の暦)が導入され、旧暦のままでは新嘗祭が翌年1月になってしまうので、新暦になっても11月の「2回目の卯の日」に行うこととしました。新しい暦で2回目の卯の日が「11月23日」だったことから、以降この勤労感謝の日は11月23日に固定されたました。
◆◆◆◆ 編集後記 ◆◆◆◆
勤労感謝の日も新嘗祭も収穫に感謝して収穫物のよろこびを現した日です。汗水流して懸命に働き、得るものに感謝の気持ちを忘れなければ、必ず大きな喜びが訪れるものです。
11月に入り気温が今年最低だったと報道が目に付きます。通勤にコート姿の方を良く見かけるようになりました。日が沈むと寒さが厳しくなります。
コロナやインフルエンザをはじめ、風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白