■11月28日「防府天満宮 御神幸祭、裸坊祭」です。■
「防府天満宮:ほうふてんまんぐう」は、学問の神様・菅原道真を祀ります。道真が亡くなった翌年の延喜2年(904)に出来た日本でも古い天満宮です。
かつては「松崎天満宮」「宮市天満宮」と称しました。明治6年(1873)近代社格制度のもとで県社に列格し「松崎神社」と改称。昭和28年(1953)に「防府天満宮」と再び改称しました。
京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」と並び「三天神」と言われますが、これは道真が宮中での権力争いで失墜し、九州の太宰府に流されていく道筋での宿泊地であると伝わります。
防府天神祭御神幸祭「裸坊祭」は、菅公が立寄りの際、送迎をなしたるに起因してその儀式を今に伝えるものです。御旅所はその際の遺跡で、浜殿奉行と云う役が当時の饗応になぞらえ、供膳の儀を奉仕します。
一条天皇の寛弘元年(1004)10月に初めて北野の菅廟に行幸され、同月15日に防府へ勅使を遣えた際、大・小行司が神幸の供奉に列し、それより常典となり伝わります。
裸坊の供奉は、江戸時代中期より特に崇敬の念篤い信徒達が、身心の穢れを清め真に清浄潔白になる意味から寒中水垢離をとり裸体となり、僅かに白木綿を身にまとって供奉する者が逐年増加し、勇壮な祭典として広く全国に知られるようになりました。近年は裸坊は白シャツ等を用いて白装します。
防府天神祭御神幸祭では、様々な神事が執り行われます。
防府天満宮
◇山口県防府市松崎町14-1
◇JR「防府駅」より
◇山陽自動車道「防府東IC」「防府西IC」車10分
◇HP:http://www.hofutenmangu.or.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
令和2年で裸防祭は1027回を数えるそうです。
菅原道真を現代風に談じると、出世争いに負けて地方左遷の憂き目に遭った際、崇敬する志のある人に乞われて逗留し文化の基礎を伝授した功績を残す為天満宮が作られた。
といったところでしょうか。
今も昔も組織の理屈は変わっていないようです。
それにしても今の世に伝わる天満宮、歴史を感じます。
筆者敬白