■11月21日「近松忌」です。■
「近松門左衛門:ちかまつもんざえもん」は、江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家で、本名は杉森信盛。松平昌親に仕える越前藩士・杉森信義と医者の家系の岡本為竹法眼の娘・喜里の間に誕生。幼名は次郎吉。諱は信盛。
浄瑠璃では竹本義太夫、歌舞伎では坂田藤十郎と組んで活躍しました。100作以上の浄瑠璃を書きましたが、そのうち約20曲が世話物、残りは時代物です。
「世話物」とは、町人社会の義理や人情をテーマとした作品で、それまでにない浄瑠璃の新しい分野として爆発的な人気を呼びました。世話物は近松作品の大きな特徴と言われます。「虚実皮膜論」という芸術論を持ち「芸の面白さは虚と実との皮膜にある」と唱えました。
曽根崎心中などの心中物は庶民の共感を呼び、人気を博しましたが、作品の真似をして心中する者が続出するようになったため、享保8年(1724)幕府は「心中物」の上演の一切を禁止。このため作家たちは心中物の脚本を書くことを断念せざるを得ませんでした。翌年の享保9年(1725)近松は72歳没。
忌日の11月22日(一説には21日とも)は、近松忌・巣林子忌・巣林忌と呼ばれ、冬の季語になっています。「久々の下り役者や近松忌」(中村吉右衛門)
墓所は日蓮宗「広済寺」。天徳1年(957)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建。後、正徳4年(1714)日昌が堂宇を建立と伝わります。俗称・近松寺。
広済寺
◇兵庫県尼崎市久々知1丁目3-27
◇JR東海道線・東西線・宝塚線「尼崎駅」バス「近松公園前」下車。