■11月17日(15~18日)「市川中山 法華経寺、御会式」です。■
日蓮宗大本山「法華経寺:ほけきょうじ」は、鎌倉時代の高僧・日蓮聖人が最初に開いた寺です。
日蓮聖人の四つの大きな法難の一つ「松葉ヶ谷の焼打の難」の際、大信者である若宮の領主・富木常忍公(日常聖人)と中山の領主・太田乗明公が、この地に聖人を呼び「百日百座の説法御弘通」をお願いしました。聖人は自ら「釈迦牟尼佛」を安置し、開堂入佛の式を挙げ、法華経寺のはじまりとなりました。
文永元年(1264)日蓮聖人は東条の郷・小松原の地に於て法難に遭い、眉間に疵を負った危急に「鬼子母神」が現れ、その救護によって一命が救われました。
中山に避難の折、疵の養生のかたわら鬼子母神霊験に深く感じ、その尊像を自ら彫刻開眼。中山の鬼子母神は、天下泰平・五穀豊穣・万民快楽・子育守護等の祈願成就の御尊体として広く信仰を集めるに至っています。
日蓮死去の際、大地が震動し桜の花が咲いたと伝わります。御会式の際には、仏前に桜の造花を供えます。
法華経寺
◇千葉県市川市中山2ー10ー1
◇京成本線「京成中山駅」徒歩10分
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日蓮聖人は一生のうち生命にかかわる法難を4回、四大法難といいます。
◇伊豆伊東の俎岩に置き去りされた伊豆法難。
◇四十三歳のときに房州小松原で地頭東条影信の一軍に襲撃された小松原法難。
◇五十歳のとき片瀬の龍口刑場で処刑されようとした事件。このとき鎌倉一帯には不思議な現象が起り、処刑は中止されたことは有名です。これを龍口法難といいます。
◇同じ年、佐渡遠流の難にあい、これを佐渡法難といいます。
調べているうち日蓮聖人の法難にたどり着きました。大病に投獄ぐらいではまだまだ甘えていますね。
筆者敬白