■11月17日「奈良、談山神社例祭」です。■
「談山神社:たんざんじんじゃ」の祭神は「藤原鎌足」(=談山大明神・談山権現)。鎌足の長男・定慧が、鎌足を弔うために建立した妙楽寺にはじまると伝わります。神仏分離以前は、「多武峯寺:とうのみね」という名称の寺院でした。
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まり、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
飛鳥の法興寺(飛鳥寺)で、蹴鞠会(けまりえ)が行われたとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(天智天皇)に見舞えることができました。
大化元年(645)5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って「大化改新」の談合を行ったといいます。後にこの山を「談い山:かたらいやま」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなっています。鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重い事を知った天智天皇は、自ら病床を見舞い、「大織冠:たいしょくかん」を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。
鎌足公の死後、長男の定慧(僧)は天武天皇7年(678)留学中の唐から帰国。摂津安威の地から多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
天武天皇9年(680)講堂(神廟拝所)が創建され、妙楽寺と称し、後に「談山護国寺妙楽寺」と称しました。大宝元年(701)には、妙楽寺の境内に鎌足の神像を安置する神殿が建立されました。
平安時代には藤原高光が出家後に入山。増賀上人を招聘するなどして、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げました。鎌倉時代には、曹洞宗総本山「永平寺」の二世・孤雲懐奘(大和尚)が参学しました。
鎌足公の命日にあたる11月17日、例大祭が行われます。本殿石の間では、南都楽所(なんとがくそ)による舞楽が奉納されます。
談山神社
◇奈良県桜井市多武峰319
◇JR「桜井駅」バス25分
◇西名阪道「天理IC」国道169南下45分
◇公式HP:http://www.tanzan.or.jp/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
例祭中は「紅葉まつり」の最中です。
例祭前後の日にはライトアップされる日もあり、見事な紅葉にライトアップされた幻想的な景色の中にとけ込めます。
参内される方はお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白