■11月3日「東京足立、皿沼不動 万灯祭」です。■
関東三十六不動霊場第二十五番札所・皿沼山永昌院「皿沼不動尊:さらぬまふどうそん」・天台宗寺門系「皿沼不動」の「不動明王」は、成田山から勧請したもの。「成田山」の揮額が残されています。
皿沼(さらぬま)は、東京都足立区西部の地名。江戸時代以前、この辺りは新義真言宗・實蔵寺の墓域にあたり、これを管理する御堂として「阿弥陀如来」を安置し創建されました。
江戸に徳川幕府が開かれると、皿沼周辺は幕府直轄の舎人領とされましたが、火災で焼け野原と化し、御堂も焼失してしまいましたが不思議と本尊だけは焼け残ったそうです。
寛永二年(1625)上野の東叡山寛永寺が創建されると、幕府は同寺の寺領として皿沼一帯を寄進。これが機縁となって近隣には寺院が次々に創建されました。そして御堂も再建され、御本尊の阿弥陀仏を拝する念仏講が結成され、その活動を中心に寺勢は発展しました。
江戸を中心に成田不動への信仰が盛んになると、講社を組んで成田山へ詣でるようになり、ついには御前立不動明王の御本尊を勧請しました。
「万灯:まんどう」とは、多くの灯火のこと。また、多くの灯明をともして、仏・菩薩を供養し、衆人の罪障を懺悔し、滅罪を祈願する法会のことをいいます。万灯祭と称して万灯供養が行なわれます。
皿沼不動
◇東京都足立区皿沼1―4―2
◇JR「日暮里駅」バス30分
◇東武伊勢崎線「西新井駅」バス
◇首都高川口線「加賀出口」1㎞
◇永昌院:http://www.zephyr.dti.ne.jp/~eishoin/
皿沼(さらぬま)は、東京都足立区西部の地名。江戸時代以前、この辺りは新義真言宗・實蔵寺の墓域にあたり、これを管理する御堂として「阿弥陀如来」を安置し創建されました。
江戸に徳川幕府が開かれると、皿沼周辺は幕府直轄の舎人領とされましたが、火災で焼け野原と化し、御堂も焼失してしまいましたが不思議と本尊だけは焼け残ったそうです。
寛永二年(1625)上野の東叡山寛永寺が創建されると、幕府は同寺の寺領として皿沼一帯を寄進。これが機縁となって近隣には寺院が次々に創建されました。そして御堂も再建され、御本尊の阿弥陀仏を拝する念仏講が結成され、その活動を中心に寺勢は発展しました。
江戸を中心に成田不動への信仰が盛んになると、講社を組んで成田山へ詣でるようになり、ついには御前立不動明王の御本尊を勧請しました。
「万灯:まんどう」とは、多くの灯火のこと。また、多くの灯明をともして、仏・菩薩を供養し、衆人の罪障を懺悔し、滅罪を祈願する法会のことをいいます。万灯祭と称して万灯供養が行なわれます。
皿沼不動
◇東京都足立区皿沼1―4―2
◇JR「日暮里駅」バス30分
◇東武伊勢崎線「西新井駅」バス
◇首都高川口線「加賀出口」1㎞
◇永昌院:http://www.zephyr.dti.ne.jp/~eishoin/