■11月23日「勤労感謝の日」「旧新嘗祭(きゅう にいなめさい)」です。■
「勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)」は、昭和23年(1948)に公布・施行された「祝日法(国民の祝日に関する法律)」によって制定されました。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。
大東亜戦争前の日本には、古くより神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。また、その年の収穫物は国家としても一年を賄う大切な蓄えとなることから、農産物・海産物など収穫物に感謝する大事な行事として、飛鳥時代の皇極天皇(斉明天皇)の時代に始まった「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の日があります。
新嘗祭は、大東亜戦争後、GHQの占領政策によって皇室の祭祀、国事神道行事から切り離される形で「勤労感謝の日」に改められました。このような歴史的経緯があり、「新嘗祭」だった祝日が新たに「勤労感謝の日」として制定されたのです。
「祝日法」の趣旨のなかの「勤労をたつとび」とは、「収穫をもたらした一年の勤労を尊ぶ」の意なのでしょう。この日を中心に各地で「農業祭」が行われます。農林水産物展示会・資材展・技術研究発表会などが催され、優秀参加出品には天皇杯や農林水産大臣賞が授与されます。
◆11月の2回目の卯の日が「旧新嘗祭(きゅうにいなめさい)」です。
大東亜戦争前の「新嘗祭」は、明治4年(1872)まで旧暦11月の2回目の「卯の日」に行なわれていました。明治3年(1873)に太陽暦(現在の暦)が導入され、旧暦のままでは新嘗祭が翌年1月になってしまうので、新暦になっても11月の「2回目の卯の日」に行うこととしました。新しい暦で2回目の卯の日が「11月23日」だったことから、「勤労感謝の日」は11月23日に固定されました。
新嘗祭は、飛鳥時代、皇極天皇の御代に始められたと伝わります。一時中断されていましたが、元禄時代、東山天皇の御代に復活しました。天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、自らも新穀を食して、その年の収穫に感謝するという皇室の祭祀です。現在でも農業関係者による祭典という色彩が濃いのも神事からの影響です。
現在、新嘗祭は宮中の重要な祭典として、そして、伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀として続けられています。宮中では、天皇陛下が神嘉殿(しんかでん)において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになり、神恩を感謝されたのち、陛下自らもお召し上がりになります。伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされ「大御饌(おおみけ=神が召し上がる食事)」をお供えします。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
勤労感謝の日も新嘗祭も収穫に感謝して収穫物のよろこびをあらわした日です。汗水流して懸命に働き、得るものに感謝の気持ちを忘れなければ、必ず大きな喜びが訪れるものです。
11月に入り「立冬」「小雪」を過ぎると、駆け足で冬がやってきます。空気も乾燥します。感染症対策を怠らず、風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白