2024.11.13
11月

令和6年(2024)11月21日「近松忌(ちかまつき)」(近松門左衛門の命日)です。

■11月21日「近松忌」です。■

「近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)」は、江戸時代前期の元禄期に活躍した歌舞伎(かぶき)・人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の劇作家で、本名は杉森信盛。松平忠昌・昌親(まつだいらただまさ・まさちか)に仕える越前藩士・杉森信義と、医者の家系の岡本為竹法眼の娘・喜里のあいだに誕生。幼名は次郎吉。諱は信盛。医学者の岡本一抱(おかもといっぽう)は弟。

浄瑠璃では竹本義太夫(たけもとぎだゆう)、歌舞伎では初代 坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)と組んで活躍しました。100作以上の浄瑠璃を書きましたが、そのうち約20曲が世話物、残りは時代物です。

「世話物(せわもの)」とは、町人社会の義理や人情をテーマとした作品で、それまでにない浄瑠璃の新しい演目として爆発的な人気を呼びました。世話物は近松作品の大きな特徴と言われます。「虚実皮膜論」という芸術論を持ち「芸の面白さは虚と実との皮膜にある(芸の真実は虚構と事実とのあいだの微妙なところにあり、写実だけではなく、虚構があることによって芸の真実みが増す)」と唱えました。

『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』などの「心中物」は庶民の共感を呼び、人気を博しました。ところが、作品の真似をして心中する者が続出するようになったため、享保8年(1724)幕府は「心中物」の上演を一切禁止。このため作家たちは心中物の脚本を書くことを断念せざるを得ませんでした。近松は翌年の享保9年(1725)、72歳没。

忌日の11月22日(一説には21日とも)は、「近松忌(ちかまつき)」「巣林子忌(そうりんしき)」「巣林忌(そうりんき)」「巣林子」は近松の号のひとつ)と呼ばれ、冬の季語になっています。

「久々の下り役者や近松忌」-初代 中村吉右衛門

※下り役者(くだりやくしゃ):江戸時代、上方から下って江戸の劇場に出演する役者のこと。当時、都(京都)から地方へ行くことを「下り」と言った。京阪と江戸の役者の交流は、ふつう11月の顔見世興行のおりに行なわれた。宝暦(1751-1761)以前には、江戸には根生(ねおい:代々その土地に根をはやして定着し、贔屓をうけている役者のこと)の女方が少なく、下り若衆とともに下りの女方が歓迎されていた。

墓所は尼崎の日蓮宗「広済寺(こうさいじ)」。天徳元年(957)多田満仲(ただのみつなか)が妙見菩薩を勧請して創建。のち正徳4年(1714)日蓮正宗(大石寺第15世法主)が堂宇を建立と伝わります。俗称「近松寺」。

広済寺
◇兵庫県尼崎市久々知1丁目3番27号
◇JR福知山線(宝塚線)「塚口駅」徒歩15分
◇公式サイト:https://kosaiji.org/wp/

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