■11月21~28日 京都、東本願寺「報恩講」です。■
「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」は、平安の政治が終わりを告げ、源氏と平家が相争う武士の時代を迎えた頃、承安3年(1173)京都の藤原(日野)有範の長男として生まれました。
9歳の時、京都の東山「青蓮院(しょうれんいん)」で得度(とくど:僧侶になるための出家の儀式)した後、比叡山(ひえいざん)に登って勉学に励みました。しかし、20年にも及ぶ学びにもかかわらず、苦しみや悩みを乗り越える道を見つけることができません。そこで出家修行に終止符を打ち、東山吉水(よしみず)の法然上人(ほうねんしょうにん)を訪ね、そこで「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という「専修念仏」の教えに出会います。
こうして生涯の師となる法然上人と出会い、そして弾圧され流刑になってしまいます。5年ののち赦免になり配流先の越後から京都へは戻らず、家族を伴って関東の地に向かいます。そして約20年間、多くの人々に念仏の教えを語り伝えました。赦免後は「愚禿釈親鸞(ぐとくしゃくしんらん)」と自称。「愚禿(ぐとく)」とは「頭を剃った愚か者」を意味します。
親鸞は60歳を過ぎてから京都へ戻ります。この頃、浄土真宗の根本聖典となる『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい、『教行信証』)』が完成。
弘長2年(1262)11月28日、90年の生涯を閉じ、京都の大谷の地に埋葬されました。ここに建てられた廟堂が、現在の「真宗本廟(東本願寺)」です。宗祖・親鸞聖人の祥月命日には「報恩講(ほうおんこう)」が行われます。親鸞聖人の御真影(ごしんねい)を安置した「御影堂(ごえいどう)」での法話のほか、『教行信証』(影印本)の展示、昼食のお斎(おとき:食事会)、合唱団によるコンサートなどさまざまな行事が催されます。
愚禿(ぐとく)が心(しん)は、内(ない)は愚にして外(げ)は賢なり
『愚禿鈔(ぐとくしょう)』
――私の心は、外見では賢く振舞っているが、
その中身は煩悩にまみれ、愚かである。――
この言葉は、外見では賢いようにごまかしているが、自らの内面にはさまざまな問題を抱えて、愚かだという意味。親鸞が「愚禿」を名乗ったのは、自分の愚かさに真正面から向き合い、偽らずに生きていこうとした決意のあらわれです。親鸞の、この決意と生き様は、私たち一人ひとりに、「あなたは今どのように生きているのか」と問いかけています。
真宗大谷派「東本願寺」
◇京都市下京区烏丸通七条上る
◇JR「京都駅」徒歩7分
◇地下鉄「五条駅」徒歩5分
◇京都市バス「烏丸七条バス停」徒歩1分
◇公式サイト:https://www.higashihonganji.or.jp
◆「報恩講」(東本願寺):https://www.higashihonganji.or.jp/lp/houonkou/