■11月7日(旧10月亥の日)「旧亥の子(いのこ)」です。■
「亥の子(いのこ)」は、旧暦10月(亥の月)の亥の日に行われる年中行事のこと。「亥の子の祝い」「玄猪(げんちょ)」「亥の子祭り」とも。
猪(いのしし)の多産にあやかり、亥の月の初めの、亥の日の、亥の刻(午後9~11時)に、新穀でついた「亥の子餅(いのこもち)」を食べ、無病と子孫繁栄を祈ります。また「亥の子節供は夕節供」の通り、子どもたちの行事もすべて夜に行なわれます。
もともと中国から伝わったもので、古代中国では旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習。日本では平安時代頃に始まり、宮中では亥の形をした餅を献上する儀式がありました。次第に貴族や武士にも広がり、民間でも行なわれるようになりました。
室町時代には「白・赤・黄・胡麻・栗」の五色の餅でしたが、近世になって小豆の入った薄赤色の餅となり、やがて牡丹餅となりました。
季節的には米の収穫が終わる時期にあたり、稲刈りが無事に終了したことを田の神様に感謝する収穫祭(刈り上げ祝い)の行事として、特に西日本で盛んに行なわれました。
亥の子の神は2月亥の日に田に降りて稲を守り、秋の刈入れ後の10月亥の日に帰ると考えられていました。中国地方などでは、2月の初めの亥の日に「春亥の子(はるいのこ)」として、長い冬が終わり農作業を始める春の訪れを祝う風習もあります。
この日、子どもたちが新しい藁(わら)を縄などで巻いて棒状にした物を手に持り、村々の家をまわって地面を叩きます。これを「亥の子突き」といいます。
この時、子どもたちは「亥の子餅をつかん者は鬼を生め、蛇を生め、角の生えた子を生め」などと唱え、道すがら餅やお菓子、お小遣いなどを貰って歩きます。餅などを貰うと「繁盛せえ、繁盛せえ」と唱え、何も貰えないと「貧乏せえ、貧乏せえ」と悪たれを言います。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「亥の子」は子どもの成長を願っての暦注です。詳しい云われは不明ですが、秋の収穫を感謝する祭礼の一環だったようです。
季節も秋本番から冬に入ります。温暖化の影響で秋が短くなったように感じますが、実際の気温・湿度などをみると秋らしい天気の日数は特に減っていないとのこと。紅葉は12月上旬頃まで楽しめそうです。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白