■11月5日「世界津波の日」です■
平成23年(2011)の東日本大震災では、東北地方の太平洋沿岸を襲った津波によって多くの人命が失われました。
津波から生命を守ることを目的に「津波対策の推進に関する法律」の中で毎年11月5日が「津波防災の日」とされました。その後、第3回国連防災世界会議で、11月5日が日本では「津波防災の日」なので、世界の津波防災意識の向上のために「世界津波の日」を提案しました。
◇津波防災の日◇
安政元年(1854)11月5日に起こった安政南海地震に由来するものです。この大地震により紀伊半島に大津波が襲来した際、現在の和歌山県広川町で、村人が自ら収穫した稲わらに火を付け人々を高台に誘導したという「稲むら村の火」という逸話に基づき定められました。
「世界津波の日」についても、過去に大きな被害が発生した日ではなく、早期警報と伝統的知識の活用によって人々の命が救われた成功例にちなんだ日であってほしいとの願いに基づいて、日本が中心となって、各国間への支持要請が重ねられました。
◇稲むら村の火◇
村の高台に住む庄屋の梧陵(ごりょう)は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付きました。その時祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、梧陵は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけたのです。すると火事だと見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、襲ってきた津波は猛威を振るいました。梧陵の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られました。
◇国語教材としての稲むらの火◇
「稲むらの火」は、昭和12年(1937)刊行の尋常小学校5年生用の国語教科書「小学国語読本巻十」に掲載されました。第5期国定教科書の「初等科国語六」にも掲載され、昭和22年(1947)まで用いられました。
◇◇◇編集後記◇◇◇
11月5日の由来は、東日本大震災発生を「津波の日」には制定せず、江戸時代の逸話に基づきます。小泉八雲の著作の英訳によって「稲むら村の火」物語は日本国外でも知らるようになりました。戦前(大東亜戦争以前)の教育が否定される現在、身を守る術さえ否定されるのは如何なものかと考えさせられます。歴史の中で残すんものは残すことが身を守る本当の術かも知れません。
季節の変わり目です。皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白