■5月9~10日 岐阜「大垣まつり」です。■

岐阜県第2の都市「大垣市(おおがきし)」は、「濃尾平野(のうびへいや)」の北西部に位置し、中山道や美濃路の宿場町としても歴史の古い「水の都」です。370年余の伝統を誇る「大垣まつり」は、大垣市の総鎮守「大垣八幡神社(おおがきはちまんじんじゃ)」の例大祭です。

「大垣八幡神社」のご祭神は
「応神天皇(おうじんてんのう)」
「神功皇后(じんぐうこうごう)」
「比咩大神(ひめのおおかみ)」
です。正式名称は「八幡神社」。「大垣八幡神社」は通称です。
大井荘(おおいのしょう:現大垣市付近)は、天平勝宝元年(749)より奈良「東大寺(とうだいじ)」の荘園でした。建武元年(1334)、東大寺鎮守神「手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)」を勧請したのが「大垣八幡神社」の始まりと伝わります。

宝徳3年(1451)ごろ現在の地に遷座、大垣町及び近傍十八郷の総社と称しました。真言宗の寺院「遮那院(しゃないん)」が別当寺(べっとうじ:神社を管理するために置かれた寺)をつとめました。
天文15年(1546)には、「斉藤道三(さいとうどうさん)」の兵火により全焼しましたが、慶長5年(1600)頃、再建されました。その後、慶長11年(1606)大垣城主「石川康道(いしかわやすみち)」の刀奉納、13年(1608)幣殿、拝殿、舞殿が建てられました。慶安元年(1648)美濃大垣藩初代藩主「戸田氏鉄(とだうじかね)」により再建整備が行なわれました。大東亜戦争中の空襲で社殿が焼失しましたが、氏子の奉仕により本殿、拝殿、社務所の復興が叶い、いまに至ります。
◆大垣まつり

戸田氏鉄が神社を再建整備した際、城下18郷が御輿3社の寄付で喜びを表し、大垣10か町が10両の「やま(軕)」を造って曳回したのが「大垣まつり」の始まりと伝わります。
延宝7年(1679)、第3代藩主「戸田氏西(とだうじあき)」から、「神楽やま」「大黒やま」「恵比須やま」のいわゆる「三両やま」を賜ったのを機に、10か町は「やま」の飾りつけに趣向を凝らしていきました。
明治24年(1891)の濃尾地震や大東亜戦争によって多くの「やま」を失いますが、その後、修復や復元、購入するなどして再建が進められ、平成24年(2012)になって残る2両となっていた「やま」が復元されました。これで全13両のやまが勢揃いし、現在、華麗な元禄絵巻を繰り広げます。
「大垣まつり」は、大垣の城下町祭礼として伝えられてきた、美濃地方を代表する祭礼行事です。形式としても、大垣藩主下賜の「やま」と町衆の「やま」の併存は全国的にも珍しく、また、中京圏の山車行事の影響がみられる「からくり人形」、近畿圏の山車行事の影響が色濃い「やま上の芸能」には、東西の祭礼文化の交流がうかがえます。

大垣八幡神社
◇岐阜県大垣市西外側町1-1
◇公式サイト:http://ogaki80003.or.jp
◆「大垣まつり」(大垣観光協会):https://www.ogakikanko.jp/event/ogakimaturi/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

「大垣まつり」は平成27年(2015)、「大垣祭の軕行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されました。平成28年(2016)には、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
岐阜県ではこの時期、岐阜市長良川の「鵜匠」、大垣市の「大垣まつり」と観光行事が目白押しです。
お出かけの際には紫外線対策などお忘れなく、お体ご自愛専一の程
筆者敬白







