2026.04.26
5月

令和8年(2026)5月3~4日「博多どんたく」です。

■5月3~4日「博多どんたく」です。■

「博多(はかた)」を代表する祭りのひとつ「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」は、毎年5月3~4日に開催、動員数200万人を超える国内最大級の祭りです。

「どんたく」は、オランダ語で「日曜日」を表す語 zondag(「ゾンダーハ」に近い発音)が訛った言葉です。明治政府制定の祝日を指す言葉として明治4年(1871)から政府が広めた言葉であるともいわれます。かつては主として「四大節」を指していました。いまも使われる「半どん」も「半分どんたく」という意味で、これが各地に広がったものです。現在では「どんたく」と言えば「博多どんたく」を示す言葉として定着しています。

「博多どんたく」は、治承3年(1179)に始まったとされる民俗行事「博多松囃子(はかたまつばやし)」が起源といわれています。「博多松囃子」は、三福神による「福神流(ふくじんながれ)」「恵比須流(えびすながれ)」「大黒流(だいこくながれ)」「三流れ」と稚児たちによる「兒流(ちごながれ)」が市中を巡る祝賀祭で、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

江戸時代、「博多松囃子」は、正月15日、福岡城の藩主に表敬する年賀行事のひとつでした。明治維新後も、明治5年(1872)までは、福岡知藩事「黒田長知(くろだながとも)」「有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)」に年始の表敬を行なっていました。

しかし、金銭を浪費し、「文明開化」にもそぐわないという理由で、「山笠」や「盆踊り」とともに正月の「松囃子」は禁止されてしまいました。そして、大東亜戦争終結後の昭和21年(1946)5月、「博多復興祭」として空襲後の焼け野原で「子供山笠」とともに「博多松囃子」が復活しました。肩衣を紙で作り、ハリボテを首から胸に下げて馬となし、戦災を免れた三味線、太鼓などを借り集めました。瓦礫になった町に鳴り響く「博多どんたく」のお囃子は「博多っ子」たちに勇気を与えました。

翌22年(1947)には、福岡商工会議所が中心となって戦後初めての「どんたく」が開催され、3台の「花電車(はなでんしゃ)」に16ヶ所の仮設舞台など、現在の「どんたく」のスタイルがつくられました。昭和37年(1962)「博多どんたく港まつり」と改称。市外県外からの見物客が増大しました。

祭りでは「どんたく隊」と呼ばれる様々なグループが演舞を披露します。メンバー構成は、各種団体や企業、学校、他都市からの観光PR団体、そして有志の集まりなど様々です。企業では団結力を高めるためなど新人教育に活用されています。

羽織を裏返して着る「肩裏(すらせ)」は、「どんたく」の粋な着こなしです。これに「かるさん袴」を合わせ、背に「預かり笹」を挿し、頭には「頭巾」、あるいは伝統話芸「博多にわか」の「にわか面」を付けるのがポピュラーないでたちです。踊りのときに持つ「しゃもじ」は、商家のおかみさんが、食事の支度中、どんたくの囃子につられて外に飛び出し、手に持っていた「しゃもじ」を叩いて囃子に加わったのが始まりとか。

三福神の行列を彩る「傘鉾(かさぼこ)」は、博多の総鎮守「櫛田神社(くしだじんじゃ)」で祓い清められた古式傘鉾に、さまざまな絵や書が描かれた華やかなもの。傘鉾の下をくぐると無病息災の御利益があるといわれます。

◆博多どんたく港まつり(福岡市民の祭り振興会):https://www.dontaku.fukunet.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

日本人なら知らない人がいないほど有名な「博多どんたく」です。2日間にわたり昼夜盛大なパレードなどが続く地域挙げての大祭です。季節柄GW最中でこれから梅雨に入る前です。是非お出かけになって博多っ子の勢いを感じてください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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