2025.05.12
5月

令和7年(2025)5月19日 奈良、唐招提寺「うちわまき」です。

■5月19日 奈良、唐招提寺「うちわまき」です。■

「唐招提寺(とうしょうだいじ)」は奈良市五条町にある律宗(りっしゅう)の総本山です。「律宗」「南都六宗(なんとろくしゅう)」のひとつで、戒律の研究と実践を行なう仏教の一宗派です。

中国では、正式な僧となるためには「戒律」を修めなければなりません。そのため、古くから研究がなされ、唐代には南山律宗を開いた道宣(どうせん、596~667)「戒律(かいりつ)学」を大成し、その孫弟子である鑑真(がんじん、688~763)が日本に律宗を伝えたとされています。

鑑真大和上(がんじんだいわじょう)は、唐の揚州江陽県に生まれ、14歳で出家し、律宗・天台宗を学びます。「四分律(しぶんりつ:部派仏教の一派の法蔵部で用いられた律典)」に基づく南山律宗の継承者で、4万人以上の人びとに授戒(じゅかい:仏門に入る者に戒律を授けること)を行なったとされています。

天宝元年(742)、第9次「遣唐使」船で唐を訪れていた留学僧から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にしてようやく来日を果たしました。

東大寺に戒壇(かいだん:授戒のための場所)を開き、5年を過ごした後、新田部親王(にいたべしんのう)の旧宅地を下賜され寺としました。鑑真は私寺として、そこに天平宝字3年(759)戒律を学ぶための修行道場を開き、「唐律招提(唐の律を学ぶ道場)」と名付けました。唐では官寺でない寺を「招提」と呼んでいました。のちに官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになりました。

◆うちわまき

ある暑い夏の日のこと、鎌倉時代の唐招提寺中興の祖、大悲菩薩覚盛上人(だいひぼさつかくじょうしょうにん)が大勢の弟子を前に講義をしていると、蚊が飛んできて上人の頬を刺そうとしました。弟子のひとりが蚊を追い払おうとしたところ、覚盛上人はそれを制し「蚊に血を与えるのも菩薩行である」といって戒めました。

覚盛上人の死後、戒行清廉なるその徳をたたえ「せめて団扇(うちわ)で蚊を払って差し上げよう」と、「法華(ほっけじ)」の尼僧たちが、ハート型の「うちわ」を作り、霊前に供えるようになりました。このうちわを上人ゆかりの人びとに授けたのが「うちわまき」の始まりとされています。

「うちわまき」は、覚盛上人の命日5月19日に行なわれます。「中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)」の法要のあと、境内の舎利殿(鼓楼)から数百本のうちわがまかれます。参詣人は競ってこれを拾い、厄除けのお守りにします。

うちわは「宝扇(ほうせん)」と呼ばれ、「雷難、火難、豊作、病気、安産、産児の健康等、諸願意の如くならずということなし」と伝わります。

唐招提寺
◇奈良県奈良市五条町13-46
◇近鉄「西ノ京駅」・JR「奈良駅」よりバス
◇公式サイト:https://www.toshodaiji.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

蚊に血を与えるのも菩薩行……私たち凡人にはそこまでの達観は出来ないかもしれません。とはいえ、殺戮を正当化しては世の中、殺伐としてしまいます。令和になっても、あるいは、令和の今だからこそ、覚盛上人のような精神を必要としているといえるでしょう。日本にはこの精神があったから、世界に認められたのです。残念なことに、いつのまにか隣人他人を構わない社会になってしまいました。
上人が生きていたらさぞかし嘆くことでしょう。自分の周辺だけでも菩薩行を実践しましょう。

唐招提寺の「宝扇」で煽いだら目が見えるようになった、癌が小さくなったといった逸話もあるそうです。迷信と決めつけずお出かけになってみてはいかがでしょうか。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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