■5月17~18日「日光東照宮 春季例大祭」です。■
「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」は、元和3年(1617)に創建された神社です。江戸幕府初代将軍「徳川家康」を神格化した「東照大権現」を祀り、相殿には豊臣秀吉公・源頼朝卿を祀ります。
徳川家康は、天文11年(1542)12月26日、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に誕生。幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定、幕藩体制を確立。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め、産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をしました。
元和2年(1616)4月17日駿府で死去。遺骸は駿河国久能山(久能山東照宮)へ葬られましたが、翌年、下野国日光へ改葬されました。同年4月に社殿が完成し、朝廷から「東照大権現」の神号と正一位の位階を受け、奥院に遷座されました。
家康が日光に祀られることになったのは、本人の遺言「八州の鎮守」から。日本全土の平和の守り神として不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と恒久平和を守ろうとしたのです。
「日光東照宮」は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に建てられた「陽明門」と、その前の鳥居を中心に結んだ上空に「北極星」が来るように造られています。その線を真南に行けば江戸へ着くとか。
主要な建物を結ぶと北斗七星の配置になるよう設計され、陽明門の前が「日本一運気の強い場所」と言われています。「日暮らしの門」と呼ばれるのは一つひとつ精緻な彫刻を眺めていると日が暮れてしまうことからつけられた名前。「日光を見るまで結構というな」という言葉は、東照宮の爛漫たる建築を洒落ているそう。
東照宮の「神厩舎」は、日本の神社建築史上初めて境内に建てられたものです。はじめは、家康が関ヶ原の合戦で乗った馬が奉納されました。猿は馬を病気から守るとされ、長押の上には青雲の志を抱いて天を仰ぐ猿の彫刻が刻まれています。8面に渡って猿の一生を描きながら「人の生き方」を説いています。
「見ざる言わざる聞かざる」の三匹の猿は、実は神厩舎の8枚の彫刻の1枚。「幼少期には、悪事を見ない、言わない、聞かないのが良い」という教えです。
名匠、左甚五郎の手になる有名な彫り物「眠り猫」は、家康を守るために寝ていると見せかけ、いつでも飛びかかれる姿勢と言われていますが、その裏側には雀が遊ぶ姿が彫られ、猫は爪も見せずにのんびり寝ており、雀も安心して遊んでいます。猫も寝るほどの平和を表しているのだそうです。
5月17・18日、例大祭が行なわれます。
17日、御本社において、宮司以下神職、徳川御宗家、産子会役員、来賓多数参列のもと「例祭」が行なわれます。午後からは小笠原流による「神事流鏑馬(やぶさめ)」が奉納され、夕刻には神輿3基が二荒山神社に渡御、両社神職奉仕によって「宵成祭(よいなりさい)」が行われます。
18日、神輿渡御祭「百物揃千人武者行列(ひゃくものぞろいせんにんむしゃぎょうれつ)」が行なわれます。神輿を中心に鎧武者など53種類1200余名の奉仕により御旅所(おたびしょ)へ向かいます。御旅所では、「三品立七五膳(さんぼんだてななじゅうごぜん)」の特殊な神饌(しんせん)が供えられ、宮司祝詞奏上・八乙女神楽・東遊が奉奏されます。
日光へ続く「日光杉並木街道」は、江戸の昔、20年をかけて日光街道にそって杉を植林し、日光へ向かう旅人を楽しませました。現在でも街道沿いに37km続き、「世界一長い杉並木」としてギネスブックでも紹介されています。樹齢は古いもので370年余、高さ30~40m、幹周り7m以上、全部で1万3000本。
日光東照宮
◇栃木県日光市山内2301
◇JR日光線「日光駅」バス「神橋」下車徒歩8分
◇公式サイト:https://toshogu.jp
◆「日光東照宮春季例大祭」(日光市観光協会):http://www.nikko-kankou.org/event/27/
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
流鏑馬や千人武者行列が名物の春季大祭です。観光の目玉、流鏑馬神事や百物揃千人武者は今年は例年通りに開催され、期間中日光は観光客でいっぱいになります。日光は標高が高く、5月でも気温がやや低く日が沈むと急に寒さが増します。上着一枚多くご用意をお忘れなく。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白