■5月17~19日 浅草神社例大祭「三社祭(さんじゃまつり)」です。■
「三社祭(さんじゃまつり)」とは、毎年5月に行われる「浅草神社(あさくさじんじゃ)」の例祭です。浅草神社は、通称「三社様(さんじゃさま)」「三社権現(さんじゃごんげん)」と呼ばれます。
<三社権現>
草創に関わった文化人の土師真中知(はじのまなかち)・檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)兄弟を主祭神として祀り、この3人の霊をもって「三社権現」と称します。のちに東照宮(徳川家康)、大国主命を合祀しました。
その昔、3月中旬に祭が行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年には「本祭」が行われていました。正和元年(1312)「三社の神話」に基づき、船祭「舟渡御」が始められたと伝わります。
<三社の神話>
推古天皇36年(628)檜前浜成・武成の兄弟が、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかりました。
地元の文化人だった土師真中知に相談したところ、これは観音像であると教えられ、漁師の二人は毎日観音像に祈念するようになりました。
その後、土師真中知は剃髪して僧となり自宅を寺としました。これが現在の「浅草寺」の始まりです。
土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが起源としています。
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年(1868)に「三社明神社」に改称、明治5年(1872)に郷社(もと、神社社格のひとつ)に列し、明治6年(1873)に現在の「浅草神社」に改称しました。
<江戸時代:観音祭・浅草祭>
江戸時代には「浅草寺(せんそうじ)」と一体で祭が行われ「観音祭」「浅草祭」と呼ばれていました。祭礼の中心は、氏子山車の行列だったようです。
早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合し、御倉前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣、各々芸能を演じ、随身門(二天門)を出て帰宅しました。
これを終えて神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。そこから船に乗せ、浅草川を漕いで上がり、駒形から上陸して浅草神社に担ぎ帰ったと伝えられています。
<明治時代:三社祭>
明治5年(1872)から5月17~18日に祭礼を行うようになり、氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。
現在では、交通事情や情勢の変化で両日の執行が不可能となり、昭和38年(1963)から5月の第3土曜日を起点とした金・土・日曜日に行われるようになりました。金曜日に神輿霊入れ、土曜日に連合渡御、第3日曜日に本社神輿渡御が行われます。毎年180万人程の人出で賑わいます。
浅草神社
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇地下鉄浅草線・地下鉄銀座線・東武伊勢崎線「浅草駅」徒歩7分
◇公式サイト:https://www.asakusajinja.jp
◇「三社祭」(浅草神社):https://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/
◆「三社祭」公式サイト(浅草神社奏賀会):https://www.sanjasama.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本社神輿渡御(ほんしゃ みこしとうぎょ)も企画されていて勇壮な江戸の祭りが催されます。また、江戸下町の「下谷神社大祭」「鳥越神社例大祭」などの祭礼もあり、5月の江戸の町はとてもにぎやかです。
江戸(東京)では三社祭が終わると、もうすぐ梅雨に入ります。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白