2024.05.01
5月

令和6年(2024)5月5日 関東三大奇祭の「府中、くらやみ祭」です。

■5月5日「府中、くらやみ祭」です。■

大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)」の御祭神は「大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)」です。「大国魂大神」は「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」の御子神で、武蔵の国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医療禁厭等の方法を教えられ、この国土を天孫・瓊々杵尊(ににぎのみこと)に奉り、出雲の杵築の大社に鎮座された神です。

景行天皇41年(111)5月5日、大神の託宣によって創立。「出雲臣天穂日命(いずものおみあめのほひのみこと)」の後裔が、武蔵国造(くにのみやつこ)に任ぜられました。大化の改新(645)のとき「武蔵の国府」をこの地に置き、武蔵国内の祭務を総轄する政治・経済・文化の中心地として栄えました。その武蔵国の総社が大國魂神社です。

総社にはその国内を代表する神社のご祭神も合わせ祀られました。本殿の両脇に「六所(ろくしょ)」=小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を奉祀し「六所宮」と称します。

「武蔵の国」とは、現在の東京都のほぼ全域、埼玉県のほぼ全域、川崎市と横浜市の大部分に広がっていました。「武蔵総社六所宮」とも呼ばれ、大國魂神社の崇敬者は関東一円にわたります。

政治」を「まつりごと」と呼ぶように、古代の政治は神との関わりが深くありました。関東三大奇祭のひとつ「くらやみ祭」は、武蔵国の五穀豊穣と国土安穏を祈る「国府祭」が起源。国府の役人による最も重要な政治的行事だったと考えられます。

江戸時代に甲州街道の宿場町として栄え、現在のような大祭が行なわれるようにまりました。その昔は毎年、例大祭のたびに各神社から大國魂神社まで、神輿を担いでこられたそうです。八基の神輿は古式の行列を整え、消燈して闇夜に神幸します。これが「暗闇祭(くらやみまつり)」といわれる所以です。古来からの儀礼で「貴いものを見る事は許されない」ため、神聖な御霊が神社から神輿に移り御旅所に渡御するのは人目に触れる事のない暗闇でなければならないという神事の伝統が現代まで引き継がれているのです。

昭和37年迄は、午後11時過ぎから宿場の明かりをすべて消してひっそりと神輿出御が行なわれていましたが、現在では神輿の渡御は夕刻に改められています。
日本最大(2.5mの刳り貫き胴)の大太鼓は「御先祓太鼓」と呼ばれます。神輿(神様)が通る道を大きな音(音霊)によって魔を追い払います。5日の日没前、号砲三発の花火を合図に本殿より神輿が出され、天棒・中棒・外棒が取り付けられた後、門外で担ぎ手に渡され、御旅所へ向かいます。

一之宮(小野神社-東京都多摩市)、二之宮(小河神社-東京都あきる野市)、三之宮(氷川神社-さいたま市大宮区)、四之宮(秩父神社-埼玉県秩父市)、五之宮(金鑚神社-埼玉県児玉郡神川町)、六之宮(杉山神社-横浜市緑区)、御本社(総社、大國魂神社)、御霊宮の八基の神輿は、御先祓太鼓を先頭に、6つの太鼓によって清められた道を渡御します。この太鼓の音は、その昔は新宿まで聞こえたそうです。

◆大祭諸行事及び神事◆
4月30日:品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)=神職及び所役が東京湾の品川沖に出て、手や口を海水で清め、汐水を樽に入れて、大國魂神社に持ち帰ります。
5月1日:祈晴祭=祭り期間中の安全とともに、雨が降らないよう祈る神事が執り行なわれます。
2日:御鏡磨式=神輿に付ける鏡を8枚、塩で磨き清めます。磨いた後、本殿に納めます。
3日:競馬式(こまくらべ)・山車の競演。
4日:御綱祭・萬燈大会。
5日:道清め・太鼓送り込み・宮乃神社奉幣・御饌催促の儀・動座祭・威儀物授与・御霊遷の儀・神輿渡御・坪の宮奉幣・野口仮屋の儀・やぶさめの儀。
6日:おかえり・鎮座祭(神霊をお神輿からご本殿にお移しする)で終わります。

この例大祭は、2010年、東京都指定無形民俗文化財に指定されました。表参道にあたる「馬場大門欅並木(ばばだいもん けやきなみき)」は、国の天然記念物に指定されています。

大国魂神社
◇東京都府中市宮町3-1
◇京王線「府中駅」徒歩3分
◇大国魂神社HP:https://www.ookunitamajinja.or.jp

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

今年のくらやみ祭は、コロナ禍前と同様のさまざまな催しが行なわれるそうです。京王電鉄府中駅からも近いですし、暗闇のなかで行なわれる奇祭は一見の価値ありです。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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