2024.04.28
5月

令和6年(2024)5月2~4日「しものせき海峡まつり」です。

■5月2~4日「しものせき海峡まつり」です。■

「しものせき海峡まつり」は、下関の歴史を今に伝える祭りです。

今から800年の昔、平氏は源義経を総大将とする源氏の軍に敗れ、幼い(数え8歳)安徳天皇は二位尼(平時子)とともに壇ノ浦に入水しました。大将平宗盛も捕えられ、平氏は滅亡しました。「しものせき海峡まつり」は、これらの歴史的事実を基にした歴史情緒豊かな祭りです。
壇ノ浦に入水した安徳天皇を祀る「赤間神宮(あかまじんぐう)」では、5月2日~4日に、悲劇の幼帝・安徳天皇を偲ぶ「先帝祭」が開催されます

2日「御陵前祭」安徳天皇御陵での神事に始まり、平家一門追悼祭には全国平家会が参列し、供養のための琵琶演奏が行なわれます。安徳帝正装参拝では、安徳帝・武将・女官など当時の装束が再現されます。

3日「先帝祭(せんていさい)」「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」及び「上臈参拝」。源平武者行列や八丁浜(はっちょはま)総踊りが繰り広げられます。

下関市の繁栄は、往古以来この先帝祭に在ると伝わります。由来は、壇之浦に平家滅亡の際、中島四郎大夫正則という武士郎党を率いて、赤間関西端王城山に籠り、再興を謀りましたが、機運は遂に至りません。漁業を営みながら、例年「先帝祭御命日」には、威儀を正して参拝を続けました。

また、多くの女官達は、赤間関在住の有志に助けられました。山野の花を手折っては、港に泊る船人に売って生計を立てながら、同じく「先帝御命日」には年毎に閼伽を汲み、香花を手向けて礼拝を続けました。これが「上臈参拝」の起源で、以来連綿と絶えることなく続けられました。

官女に警固や稚児が従い、上臈に禿の随う美しい列立は、平安の昔に宮中で行われた「五節舞姫」の形に倣っています。「外八文字道中」は壮観です。無形文化財に指定され西日本唯一の行事と称えらています。

4日は「巌流島フェスティバル」が開催されます。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で知られる巌流島。現在は「海上公園」として整備され、船で誰でも渡ることが出来ます(上陸人数または乗船人数に限りがあるため、上陸乗船制限をする場合もあり)。ここでは、決闘の寸劇が行われます。

「赤間神宮(あかまじんぐう)」は、安徳天皇を祀るほか、壇の浦合戦に亡びた平家一門の武将を供養する「七盛塚(しちもりづか、ななもりづか)」があります。また、小泉八雲(こいずみやくも)の『怪談』に収められている「耳なし芳一」の舞台としても有名です。

赤間神宮
◇山口県下関市阿弥陀寺町4-1
◇赤間神宮(山口県観光サイト):https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_10467.html

◆「しものせき海峡まつり」(下関市):https://shimonoseki.travel/kaikyo_fes/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

ゴールデンウィーク真っ只中。天候次第では見ることがかなわないかもしれませんが、それでも巌流島船舶による海上パレードは見もの。先帝祭の上臈参拝の花魁道中もこれまた見ごたえがある時代絵巻です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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