2023.05.02
5月
国民の休日
雑節・歴注・撰日

令和5年(2023)5月5日 端午 こどもの日 こいのぼり です。

■5月5日「端午」です。■

端午(たんご)」は五節句のひとつで旧暦5月5日のことで、男子の節句とされています。
旧暦では「午(うま)の月は5月」にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午(たんご)」といいました。

また、端午は「午(ご)」は「五(ご)」と同じ音です。これは、毎月上旬の5日の意も含まれていて「午月の初めの5の日」のことを指します。
これを「節句」として祝っていたものが、のちに「5が重なる5日」が端午の節句の日になりました。同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。

◆端午の始まり◆
端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされています。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行なわれます。
蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。

◆端午の伝来◆
日本には平安時代に伝わり、貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。
男子のいる家では、鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子供の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のことです。
端午の日に「粽(ちまき)」や「柏餅(かしわもち)」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人「屈原」の命日(5月5日)に屈原を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したことが始まり。
また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものが「ちまき」の由来とされます。

柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。
中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。

◆さつき忌み◆
日本では古くから5月を「悪月(あしげつ)」と称して物忌み月でした。
田植えの頃に、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祀るといった神事があり、これを「さつき忌み」と呼んでいました。

田植えをする早乙女とは、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、「端午」はもともと女性の節句だったものです。
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉(くすだま=薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)」を賜りました。5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国から伝来した「端午の節句」が一緒になったものです。

やがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛                                                      節句と対照的に男子の節句となっていきました。立身出世を願い、鯉のぼりや武者人形など、武勇を表すものを飾るようになりました。

■5月5日「こどもの日」■
平成の現在、5月5日は「こどもの日」として国民の祝日になっています。「こどもの日」は、祝日法では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを制定の趣旨としています。
「こどもの日」は、男子の健やかな成長を祝い、祈る日本の風習で、五節句のひとつとして「端午の節句」とも呼ばれます。

そもそも旧暦5月5日に祝われたものが、今日の日本では新暦5月5日に行なわれています。旧暦や月遅れの6月5日に行なわれる地域もあります。

鎌倉時代頃から「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」と同じ読みであることや、菖蒲の葉が「剣」の形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされました。
鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した「五月人形」などを飾り、庭前には「鯉幟(こいのぼり)」を立てるのが典型的な祝い方です。
鎧兜には男子の身体を守るの意が込められています。こいのぼりを立てるのは、男子の立身出世を祈願しています。
こいのぼりは「5色の吹き流し」と「3匹(あるいはそれ以上の)鯉」から。吹き流しの5色は「五行説」に由来します。

◆鯉幟(こいのぼり)◆
鯉幟とは、端午の節句(旧暦5月5日)までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世を願って庭先に飾られたものが始まりです。風になびかせる吹流しを、鯉の形に模して作ったもので、始めは紙や布に鯉の絵を描いて幟(のぼり)にしていましたので「皐幟(さつきのぼり)」とも呼ばれます。菖蒲と尚武を掛けてこの日を大切にする風習は、江戸時代には幕府の重要な式日となりました。城には、たくさんの幟、刀、兜などを飾り、盛大に祝いました。

中国の古くからの伝説で、中国の大河「黄河」の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうとしましたが、鯉だけが登りきり鯉は姿を変え「竜」になることが出来たと伝えられています。鯉の滝登りに因んで、我が子の立身出世を願い、また男子の生まれたことを天に伝え、加護を願うという意味が込められています。

本来は真鯉(黒い鯉)のみを飾りますが、明治の頃から緋鯉(ひごい)と対で飾るようになりました。昭和時代からは子鯉(青い鯉)を添えた家族を表すものが主流となっています。竿の先端には、籠玉や回転球を。その下に矢車を付け吹流し、真鯉、緋鯉、子鯉の順番に並べます。

吹流しには「五色吹流し」と「雲竜吹流し」があります。雲竜吹流しは、鯉が滝を登りきって竜になった姿で、家紋を入れた吹流しもあります。
五色吹流しの「五色」は、五行思想の五色からきています。東=緑、南=赤、中央=黄、西=白、北=黒。ちなみに七夕の時の「五色の短冊」も同じ意味合いです。

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