2023.04.30
5月

令和5年(2023)5月2~4日 しものせき海峡まつり、先帝祭 です。

■5月2~4日「しものせき海峡まつり、先帝祭」です。■

しものせき海峡まつり」は、下関の歴史を今に伝える祭りです。

今から800年の昔、平氏は源義経を総大将とする源氏の軍に敗れ、幼い(数え8歳)安徳天皇は二位尼(平時子)とともに壇ノ浦に入水しました。大将平宗盛も捕えられ、平氏は滅亡しました。「しものせき海峡まつり」は、これらの歴史的事実を基にした歴史情緒豊かな祭りです。
壇ノ浦に入水した安徳天皇を祀る「赤間神社」では、5月2日の命日に「先帝祭」が執り行われます。

2日「御陵前祭」安徳天皇御陵での神事に始まり、平家一門追悼祭には全国平家会が参列し、供養のための琵琶演奏が行なわれます。安徳帝正装参拝では、安徳帝・武将・女官など当時の装束が再現されます。

3日「先帝祭(せんていさい)」「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」及び「上臈参拝」。源平武者行列や八丁浜(はっちょはま)総踊りが繰り広げられます。

下関市の繁栄は、往古以来この先帝祭に在ると伝わります。由来は、壇之浦に平家滅亡の際、中島四郎大夫正則という武士郎党を率いて、赤間関西端王城山に籠り、再興を謀りましたが、機運は遂に至りません。漁業を営みながら、例年「先帝祭御命日」には、威儀を正して参拝を続けました。

また、多くの女官達は、赤間関在住の有志に助けられました。山野の花を手折っては、港に泊る船人に売って生計を立てながら、同じく「先帝御命日」には年毎に閼伽を汲み、香花を手向けて礼拝を続けました。これが「上臈参拝」の起源で、以来連綿と絶えることなく続けられました。

官女に警固や稚児が従い、上臈に禿の随う美しい列立は、平安の昔に宮中で行われた「五節舞姫」の形に倣っています。「外八文字道中」は壮観です。無形文化財に指定され西日本唯一の行事と称えらています。

赤間神宮」は、安徳天皇を祀るほか、壇の浦合戦に亡びた平家一門の武将を祀るもので「七盛塚」とも呼ばれます。「耳なし芳一」の伝説が有名です。

4日は「巌流島フェスティバル」が開催されます。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で知られる巌流島。現在は「海上公園」として整備され、船で誰でも渡ることが出来ます。但し、上陸人数または乗船人数に限りがあるため、上陸乗船制限をする場合もあり。ここでは、決闘の寸劇が行われます。

赤間神宮
◇山口県下関市阿弥陀寺町4-1
◇公式Web:http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/

◇山口県下関市
◇下関市公式観光サイト:https://shimonoseki.travel/kaikyo_fes/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

ゴールデンウィーク真っ只中。天候が悪いと見られない巌流島船舶による海上パレードは見もの。先帝祭の上臈参拝の花魁道中はこれまた、見ごたえがある時代絵巻です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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