■3月11日(旧2月2日)「二日灸(ふつかきゅう)」です。■
「二日灸(ふつかきゅう)」とは、旧暦8月2日と2月2日に据える「お灸」のことです。もともとは、年が明けて初めて据える灸のことをいいました。
2月と8月の年2回としているところが一般的です。旧暦8月2日には「灸」をすえて悪病災難除けをする習慣があります。
俳句の季語に使われていることからも、二日灸が一般的な風習だったと思われます。または「春の灸」とも。もともと節句の一種だったという説と、中国の「天灸」から来ているという説があります。
「天灸(てんきゅう)」は、子供のおでこに「×」や「+」の印を書いて、無病息災を願った呪い(まじない)です。灸と言えば、その昔の「お仕置き」の定番でしたが、日本の二日灸もこの日に灸を据えれば「悪病災難に遭わずに元気に過ごせる」という縁起を担いだ呪いでした。
◇鍼灸治療伝来の起源◇
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら薬理の集積を編述した、といわれる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢で、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されています。
日本には仏教とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇の時、中国・呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が渡来しました。以来、明治維新までは医学の中枢を担っていました。
◇貝原益軒の養生訓◇
江戸時代の儒学者「貝原益軒(かいばらえきけん)」の教育書『養生訓(ようじょうくん)』には、「脾胃(ひい=胃腸)が弱く食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい」と書かれています。
その理由は「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して循環がよくなり、食も停滞しないで食欲も盛んになって元気が増える」と。
また、灸を据える位置については「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」が効果的と書かれています。
◇芭蕉の三里、三里のツボは胃のツボ◇
松尾芭蕉が旅に出るとき「三里の経穴(ツボ)」に灸を据えたことは『おくのほそ道』にも書かれています。「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて…」と。三里に灸の痕がない者とは旅をするな、ともいわれていました。
江戸時代には養生のためにお灸を据えるのは常識でした。足三里(あしさんり)は胃のツボで、消化器の働きの調節や血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など広範囲に渡る効用があります。
足三里に灸を据えることを「健康灸」というそうです。足三里膝蓋骨の下端から骨度法で三寸の位置にあるツボ。膝関節の皿の直下にできるくぼみに人さし指を添え、人さし指・中指・薬指・小指を揃えた指幅4本分下がったところです。
3という数字は「天・地・人」「上・中・下」などのように「総て」を表し、「里」とは「理」のことで「整理する」「筋道を立てて治める」の意です。「三里」というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」からきています。
◇直接灸はプロの技「伊吹もぐさ」◇
現代でも、症状によっては「灸」を施します。しかし、灸は熱くて痕が残るのが欠点。そこで、熱さを緩和するための「間接灸」が流行しているようです。ただし、灸は「直接灸」のほうが効果があるらしく、直接灸でも痕を残さずに据えるのがプロの技だとか。
灸に使う「もぐさ」は、蓬(よもぎ)の別名。灸に使う蓬の葉を乾燥して綿状にしたものを「艾(もぐさ)」と表記しています。滋賀県・伊吹山麓で採れる「伊吹もぐさ」が有名。
◇もぐさ屋・亀屋左京、番頭・福助◇
「もぐさ屋・亀屋佐京」に、江戸後期の頃、「福助(ふくすけ)」という名の番頭がいました。番頭・福助は、大きな頭と背の低い身体に裃(かみしも)の礼装をして、深々とお辞儀する「伏見人形」で知られます。福助足袋の登録商標「福助」のモデル。
番頭・福助は正直一途で、感謝の心を常に忘れず、いつも顧客に真心で接したため、商は大いに繁盛しました。伏見の人形屋がこの話を聞き「福を招く縁起物」として売りだすと、これが大流行し、どの商店の店先にも飾られるようになったのです。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
これから春に向かって体が緩む時期に入ります。寒い冬の間に硬くなった体をお灸で温めて緩めましょう。体の奥から疲労が取れて新しい息吹きが湧き上がってきます。
寒暖のある日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白