■3月10日 仙台、塩竈神社「帆手祭(ほてまつり)」です。■
陸奥国一之宮「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」の創建は、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式(こうにんしき)」〔※〕に「鹽竈神を祭る料壱万束」とあり、当時すでに厚い祭祀料を授かっていたことが記されています。奈良時代、国府(こくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)を兼ねた「多賀城(たがじょう)」〔※〕が神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、その精神的支えとなって信仰されてきました。
武家社会となってからは、平泉の藤原氏や伊達藩の崇敬厚く、歴代藩主は大神主として務めました。現在の社殿は宝永元年(1704)に竣工されたもの。江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、平成3年(1991)には第17回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。
※弘仁式(こうにんしき):律令法の施行細則を集成した法典で、「三代格式(さんだいきゃくしき)」のひとつ。「三代格式」=平安前期に編纂・施行された3つの格式(弘仁・貞観・延喜)の総称。「格式(きゃくしき)」は律令の補助法令、いわゆる取扱説明書のことで、「弘仁格式(弘仁格と弘仁式)」は、嵯峨天皇が大宝元年(701)から弘仁10年(819)までの格を藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)に編纂させたもの。一部現存。
※多賀城(たがじょう):現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡。「城柵(じょうさく)」とは、古代日本において大和朝廷が本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設。多賀城には国府(行政)と鎮守府(軍事)が置かれた。
鹽竈神社の御祭神は、別宮(特別な宮)に「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)」、左宮に「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」、右宮に「経津主神(ふつぬしのかみ)」の御三神をお祀ります。
塩土老翁神は古くより航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神、左右宮の御祭神は武運・国土平定の神として信仰されてきました。人の生死は「潮の満ち引き」に深い関係があり、また、「海(ウミ)」が「産み(ウミ)」に通じるところから、安産守護・延命長寿に御神徳があるとして庶民の信仰を集めます。海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神として信仰されます。
「帆手祭(ほてまつり)」は、江戸時代より受け継がれる火伏(ひぶせ)の祭です。天和2年(1682)、たびたび火災に襲われて難儀する塩竈の人びとが火災鎮圧と景気回復を祈って始めました。重さ約1トンもの神輿を若者たちが担いで市内を御神幸するのは、全国でも「荒れ神輿」として有名です。町内の厄除けと繁栄とを祈願します。
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)
◇宮城県塩竈市一森山1-1
◇JR仙石線「本塩釜駅」より
・表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分
・東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分
・社務所前まで徒歩約15分、タクシーで5分
◇三陸自動車道「利府中IC」より約10分、「仙台港北IC」より約15分
◇公式サイト:http://www.shiogamajinja.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
塩竈には、年に3回の氏子祭があります。3月「帆手祭」、4月「花まつり」、7月「塩竈みなと祭」で、地元の人びとは「氏子三祭」と呼びます。
平成23年(2011)3月10日、例年通り「帆手祭」が斎行された翌日、11日午後、東日本大震災が起こりました。4月、氏子青年会が中心となって、震災直後のため制限されたかたちではありましたが、「花まつり」が行なわれ、地震と津波に襲われた塩竈の人びとを勇気づけました。
5月、鹽竈神社の境内では、国の天然記念物「鹽竈ザクラ」が薄紅色の八重の花を咲かせます。
皆様、お風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白