■3月18日「彼岸入り」~3月24日「彼岸の明け」です。■
「彼岸:ひがん」とは、雑節の一つで、春は春分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間、秋は秋分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会(ひがんえ)のことをいいます。
彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。彼岸の七日間にわたって行われる法要、法会のことを、彼岸会(ひがんえ)といい、諸寺では彼岸仏事が行われます。
彼岸には先祖の霊を供養し、墓参りが一般的ですが、これは日本独自の風習に仏事行事が結びついた日本独特のものです。昼と夜の長さが等しい「春分」「秋分」の日は「陽が真西に沈む」ことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。
遥か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意。日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。ここから法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。
彼岸の名称は、仏典の波羅蜜多(はらみつた)という梵語の漢訳「到彼岸」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るという意味です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸(しがん)」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸(ひがん)」といいます。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
****牡丹餅、お萩****
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」といいます。
文永8年(1271)「日蓮」(鎌倉時代の僧)は鎌倉幕府に対して「法華経を信じなければ、国難が続くであろう」と予言したため、平左衛門尉頼綱により佐渡流罪の名目で捕らえられ、鎌倉龍ノ口の刑場で処刑されることになってしまいました。
尼が「最後のご供養を」と、きな粉と胡麻をまぶした牡丹餅を作り、日蓮に献上しました。
処刑されかかったところ、辰巳(南東:巽)の方位より戌亥(北西:乾)の方位へ雷光響き渡り、刀が折れるという怪異が起こります。日蓮は難を免れ、佐渡に流罪となりました。後に赦免となって鎌倉へ戻り、布教活動を続けたと伝わります。
日蓮宗では「御難の餅」と呼んで胡麻の牡丹餅を供えます。「難除けぼたもち」「首つなぎ牡丹餅」とも呼ばれています。
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一説には「運がいい・悪い」はその人の徳が現れるそうです。
日ごろの発言、行動が苦しいときの助けになります。平気で裏切ったり自分の我を通すと、思わぬしっぺ返しに遭うものです。
苦難は先祖からの啓示だと思い、甘んじて請ける気持ちで受け入れると、先祖の徳が道を開きます。
お彼岸を機会に先祖供養とともに、常日頃から生きていることに感謝の気持ちを持ち続けましょう。
暖かさと寒さが交互にやってきます。
暖かい日和の昼間は気持ちのいい季節になりました。油断から薄着をして、お風邪などお召しにならないようになさってください。
時節柄、皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白