■6月7~17日 東京、日枝神社「山王祭(さんのうまつり)」です。■
武蔵国(むさしのくに)豊島郡江戸を本拠とする豪族「江戸氏(えどし)」が、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として、川越に「山王宮」を祀っていたのが、「日枝神社(ひえじんじゃ)」の始まりです。文明10年(1478)、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の筆頭家老「太田道灌(おおたどうかん)」が、「江戸」の地に築城するにあたり「川越山王社」を勧請し、鎮護の神としました。
天正18年(1590)「徳川家康(とくがわいえやす)」が江戸城を居城とするに至り、城内鎮守の社、徳川歴朝の産神として、また、江戸の町民からは江戸郷の総氏神、江戸の産神として崇敬されました。
第2代将軍「徳川秀忠(とくがわひでただ)」のとき、江戸城大改造が行なわれ、城内「紅葉山(もみじやま)」から新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築し、遷祀されました。これにより、江戸庶民が参拝できるようになりました。明暦3年(1657)、「明暦の大火(めいれきのたいか、振袖火事)」で社殿を焼失。第4代将軍「徳川家綱(とくがわいえつな)」が、赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地(やしきち)を官収して社地にあて、江戸城から見て「鬼門(きもん)」に位置する現在地に鎮座しました。
御祭神は「大山咋神(おほやまくひのかみ)」。相殿に「国常立神(くにのとこたちのかみ)」「伊弉冉神(いざなみのかみ)」「足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)」を祀ります。
◆山王祭(さんのうまつり)
「山王祭(さんのうまつり)」は、徳川時代に江戸城内に入御した神輿を、3代将軍「徳川家光(とくがわいえみつ)」以来、歴代の将軍が「御上覧(ごじょうらん)」したことから「天下祭(てんかまつり)」として盛大をきわめました。京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」とともに「日本三大祭」に数えられています。祭礼の費用を幕府が支出したことから「御用祭(ごようまつり)」とも呼ばれました。
「天下祭」は、江戸時代以来続いている江戸の代表的なお祭りで、山王祭と神田明神の「神田祭」を指し、この2社の祭礼と富岡八幡宮の「深川八幡祭り」が「江戸三大祭」といわれています。
山王祭の大祭は、神田祭と隔年で斎行されます。大祭では300mの神幸行列が東京都心を練り歩く「神幸祭」も行なわれます。御鳳輦(ごほうれん)2基、宮神輿1基、山車(だし)5~6本とともに、王朝装束に身を包んだ総代役員や氏子青年など約500名が氏子区域を巡行。大都会東京の真ん中で江戸時代にタイムスリップしたかのような光景が繰り広げられます。
例祭での皇城鎮護・都民平安祈願を中心に、稚児行列、表千家・裏千家による献茶式、剣道大会奉納、献灯祭など、期間中さまざまな行事が行なわれます。
16日には「和菓子の日」に合わせて、「山王嘉祥祭」が行なわれます。承和15年・嘉祥元年(848)の夏、「仁明天皇(にんみょうてんのう)」が、豊後国大分郡の寒川(現・大分川)で捕らえられた白亀が献上されたことを大瑞とし、御神託にもとづいて、6月16日に「16」の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供え、疫病除け・健康招福を祈誓し、「嘉祥(かしょう・かじょう)」と改元したという古例にちなみます。
鎌倉時代より「嘉祥菓子」の日はめでたい日とされて祝われ、江戸時代には幕府の年中行事として行なわれていましたが、明治時代にとりやめとなり、昭和54年(1979)に日枝神社の祭事として復活しました。東京和菓子協会の職人が和菓子(煉切)を神前でつくって奉納し、和菓子の振興と発展とを祈願します
日枝神社
◇東京都千代田区永田町2-10-5
◇公式サイト:https://www.hiejinja.net
◆「山王祭」の詳しい情報はこちら(日枝神社):https://www.tenkamatsuri.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
数々の夏祭りで盛り上がった江戸の町も、日枝神社の山王祭でひと区切りです。6月下旬から寺社仏閣は「夏越の祓(なごしのはらえ)」の時節となります。
今年も暑い夏になりそうです。今のうちに体力をつけて夏を乗り越えましょう。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白