2023.06.19
6月
雑節・歴注・撰日

令和5年(2023)6月22日(旧5月5日)不成就日(ふじょうじゅび)です。

■6月22日(旧5月5日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■

文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

「宣明暦」(※)の時代には、会津暦(※)で採用されていただけで、貞享暦(※じょうきょうれき)にも記載されていません。貞享暦とは、貞享元年(1684)渋川春海※により完成された暦です。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」※に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦※や開運暦※のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月……3・11・19・27日
2月・8月……2・10・18・26日
3月・9月……朔・9・17・25日
4月・10月……4・12・20・28日
5月・11月……5・13・21・29日
6月・12月……6・14・22・晦日

※宣明暦(せんみょうれき)
中国暦のひとつで、唐の長慶2年(822)から使用された太陰太陽暦の暦法。正式には、長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)。日本では、貞観4年(862)~貞享元年(1684)まで、823年間使用され、貞享2年(1685)に貞享暦(じょうきょうれき)に改暦された。

※会津歴(あいづごよみ)
会津若松城の鎮守、諏訪神社の神官が賦暦(無償で配る暦)を、隣町の七日町住菊地庄左衛門が売暦(販売する暦)を発行していました。貞享の改暦以前には宣明暦法により独自に編暦、改暦後は幕府天文方からの「写本暦」(頒暦の稿本)に従って製作された。永亨年間(1429~41)から「開板」とあり、東北一円で頒布されていた。

※貞享暦(じょうきょうれき)
貞享暦は、渋川春海の観測に基づき、中国元代の授時暦(じゅじれき)に中国と日本の里差(経度差)を補正し、1年の長さが徐々に変化するという消長法を援用して改良した暦法。それまでの宣明暦から貞享元年(1684)10月に改暦の宣下があり、暦号を「貞享暦」と賜る。この暦を作成時、春海は「大和暦」と称していた。

※渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい、寛永16年(1639)~正徳5年(1715))
江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。父の死後、襲名して家職を継ぎ、2代目算哲と称した。のち保井、さらに渋川と姓を改める。日本では古来、中国の宣明暦を採用していたが、日本人の手になる独自の暦法「貞享暦(じょうきょうれき)」を初めて作った人物として著名。その功により貞享元年12月(1685年1月)、初の天文方となる。冲方丁の『天地明察』は渋川春海の生涯を描く時代小説。滝田洋二郎監督で映画化もされた。

※選日講訳(せんじつこうしゃく)
文政13年(1830)に発行された暦の解釈書籍で、中には一粒万倍日・不成就日・八専・十方暮・天一天上・三隣亡・三伏・大犯土・小犯土・臘日などがある。

※伊勢暦(いせごよみ)
現在の神宮暦の前身、江戸時代に伊勢神宮の門前で製作し頒布されていた暦。

※開運暦(かいうんれき)
伊勢暦を原型として全国に賦暦(無償で配る暦)された。現在の市販の暦はほとんどが開運暦の流れを汲む。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の七曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

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