2023.06.01
6月

令和5年(2023)6月4日「伝教大師忌」です。

■6月4日「伝教大師忌」です。■

日本の天台宗を開いた平安時代の僧、最澄(さいちょう)は、近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生まれました。俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。諡号「伝教大師」。

12歳で「近江国分寺」に入り、行表の弟子となりました。14歳で最澄と改名。19歳で東大寺で具足戒を受け、比叡山に登り大蔵経を読破。

当時の仏教の主な目的は「国を護る」ことでした。僧は寺院外での活動を制限され、一般の人々に仏教の教えを説くことは禁止されていました。

奈良時代の仏教の考え方は「仏性は特定の人しか持つ事ができない」とされていました。「仏性」とは、人が生まれながらに持つ「仏となる能力」のことです。

最澄は、この考え方に対して疑問を抱き、「仏教の本来の姿は、一切衆生を救うことにあるはず」と考え、そして、比叡山に篭もって、様々な経典を読み研究します。

ここで「すべての人間の仏性は平等であり、人は誰でも仏になれる」という天台宗の考えに出会います。

804年、門弟の義真を通訳に連れ、空海と同じく九州を出発。天台山に登り「天台教学」を学びます。805年、帰国した最澄は、比叡山で天台宗の教えを広め、翌年の806年「天台宗」が正式に認められます。

天台宗では「法華経(ほけきょう)」を最高の聖典とし、「仏を信じれば、誰でも仏になれる」と教えています。この考え方を「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」といいます。
四宗兼学」として、法華経・大乗仏教の戒律・禅・密教の4つを柱としています。
正式な僧になるためには、試験に合格し、戒律を授かることが必要です。戒律を授かる施設のことを「戒壇」といいます。当時は、戒壇は東大寺にあり、最澄はそこで戒律を受けています。

822年、病死。桓武天皇時代の年号「延暦」から「延暦寺」と改名。(※年号由来の寺名を持つ寺院は格式が高い)
この後、延暦寺は仏教の学問の中心となり、後の時代に活躍した多くの僧が、この延暦寺で学んでいます。866年、朝廷より「伝教大師」という尊称がおくられました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

伝教大師忌を機会に先祖供養しましょう。梅雨どき前の月命日に墓参をおすすめします。
もうすぐ「入梅」で、梅雨に入ります。梅雨が明ければ本格的な夏!
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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