■7月19日 京都、松尾大社(まつのおたいしゃ)「御田祭(おんださい)」です。■

「日本第一酒造神」として知られる「松尾大社(まつのおたいしゃ)」は、京都最古の神社です。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称「松尾神社」。本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて「松尾七社」といいます。

平安遷都により、「賀茂神社(かもじんじゃ)」とともに「皇城鎮護(おうじょうちんご)」の社として崇敬され、「東の賀茂、西の松尾」「賀茂の厳神(ごんじん)、松尾の猛霊(もうりょう)」と並び称されました。賀茂神社は「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」と「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」の総称です。
本殿は、大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建したと伝わります。以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な「両流造(りょうながれづくり)」は、「松尾造」と呼ばれる珍しい建築様式です。宝物の等身大の木造男神坐像2体、木造女神坐像1体(ともに重文)は、我が国最古の神像のひとつとされています。

社の背後「松尾山(まつのおやま)」(標高223m)には松尾社の古社地があり、山頂に近い大杉谷には「磐座(いわくら)」(信仰の対象となる岩、神の在所)とされる巨石があります。
主祭神に
「大山咋神(おおやまぐいのかみ、おおやまくいのかみ)」
「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」
の2柱を祀ります。5世紀の頃の渡来人「秦氏(はたうじ、はたし)」が、山城国一帯に居住し、もともと守護神として土地の人びとが祀っていた「松尾山」の神を氏神としました。

秦氏は酒造の技術も伝えたことから、松尾大神は酒造の神としても篤く信仰されるようになりました。境内の拝殿横には、全国の酒造業者から奉納された「菰樽(こもだる)」が並べられています。
本殿右奥に湧く「亀の井」の水を酒の元水に混ぜると酒が腐らないという言い伝えが広まり、全国の酒造・醸造業者が酒水に混ぜる風習が生まれ、今も各地の蔵元が水を汲みに訪れます。天平5年(733)、この霊水が湧き出たとき、松尾大神より「この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する」「この水は諸病を治し寿命を延ばす」などとの御宣託があったといわれます。
摂社の「月読神社(つきよみじんじゃ、月讀神社)」は、境内に「神功皇后(じんぐうこうごう)」ゆかりの安産信仰発祥の石「月延石(つきのべいし)」を祀ることから、広く「安産守護のお社」として崇敬されてきました。月読神社の禰宜(ねぎ:神職)を代々担う「松室氏」の祖は、遡ると神祇官(じんぎかん)の官人をつとめていた「壱岐氏(いきうじ)」まで辿るとされます。壱岐氏は、早くから中国の「亀卜(きぼく)」(亀の甲羅を使う占いの一種)を日本に伝えるなど、「卜占(ぼくせん)」に通じた氏族(卜部氏)のひとつでした。
◆御田祭(おんださい)

「御田祭」は、室町時代から続く「田植えの神事」です。毎年7月第3日曜日に行なわれます。「植女(うえめ)」の姿は、紗を張った「かいばり」(内掛け)を着て、金銀で飾られた花笠をかぶり、紅白ちりめんのたすきを掛け、額には葵の形を白粉をつけ髪に垂らして花櫛を挿し元結を水引で結んでいたとされています。
3人の植女が壮夫と腰元を従え、本殿の祭儀に参列、神職から早苗を受け斎庭に出て、壮夫の肩に乗り先駆の素袍(すおう)2人と鍬持ち2人、その他を従えて拝殿を3周します。その後、持っていた苗を撤布すると、見物人たちは競ってこれを取って持ち帰り、「田の虫除け」にしたと伝わります。
松尾大社
◇京都府京都市西京区嵐山宮町3
◇阪急電車「松尾大社駅」
◇JR「京都駅」から市バス「松尾大社前」
◇公式サイト:https://www.matsunoo.or.jp
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

春から夏にかけて全国各地で田植えの神事が行なわれますが、松尾大社の御田祭はほかの地域より時期が遅い祭礼といえます。一説には日本古来の米「赤米」は成長が早く田植え時期が遅かったらしいといった説と、梅雨が明けないと田植えが出来なかったといった説があります。どちらにしても古くから日本人と稲作は、深い関係にあることがわかります。
近年では食物に感謝をしない方が増えてきました。食事は単に食べるだけ、栄養を摂るだけのものではありません。感謝をしてこその御飯です。毎日の食事が出来ることに感謝しましょう。
暑さ厳しい折、体調管理にご注意なさってください。
お体ご自愛専一の程
筆者敬白







